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フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

<徐々に最優良ブログの紹介をしていきます>
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個人での内得信仰の日々のブログです(歓喜の中の大歓喜編2018.10.21~)
by 太ちゃん
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状況の変化

こういうタイミングでのこの変化とはね。
去年軽くやりとりした仲の人が、どうやら実質的に生死を彷徨ってる状態というか。

体が、ということではなく精神的に生死を彷徨ってる、そういう状態にあるのを昨夜当人より知らせがあった。
ちなみに家系が他宗教でいて内部ではないです。

当人はいま『死魔』のようなものと戦っている、そういう状況にあるようだ。
その『おおもとの原因』を察するに、対応するとなると恐らくこちらも命懸けでしなければならない可能性がある。
こちらも『死魔』と戦う状態が想像つくから。

『ここでしっかりとした体験を積みなさい』

そう御本尊様から言われてるように感じた。
さっき電話で話して明日より『儀式(学会でいえば勤行)』を同じ時間でする事になった。
僕は学会式の勤行、当人は当人の家系の宗教の『形式』で、勤行時の『一念』は学会式、という変則的な方便が家族がいる手前で今のタイミングでは現実的なようだ。他に、これはさらに後日に話す予定だけど。たぶん当人の家系の宗教では『唱題』は無さそうな様子。これは学会式をそのまま同じ時間で行う。恐らく教義上の矛盾は無いだろうから。とりあえず明日は勤行からになる。


『いよいよやってきたか』

そう直感した。
今までの体験などは『お試し』の期間だと感じているし、実際そういう現証になっている。それ自体も当初に願っていたことだから叶っている。

どのタイミングで本格的になるかまで予想してなかったから、本格的開始の予定を来年春に決めていた。
どうやら御本尊様から『活動のお許し』が出た、そう直感したからここから本格的に活動の開始をする。
とはいえ僕の地元組織は衰退が過ぎて実質壊滅状態のようだからほとんど個人で動く事になろうけれど。

けど場合によっては当人に『結果不十分な可能性』も多分にある。
根本的にしっかりと解決までする必要性がありそうだけど。
当人の地域が良い組織である事を願うばかりであるが、対応のみならず『折伏』をする必要性まであるかもしれない。

おそらく近い内に直接会って話すことになると直感している。
そのタイミングは御本尊様が現証で示す事になろうけれど。
そこまでの展開ならその先の実際の行動がどうなるかは普通に考えて答えはひとつだけどね。

・・・・と、『本格的活動初心者』の僕でも感じるのだけどね。
やはり自信を持って信仰していればネットの話でいちいち怒る気にもならないだろうと感じるよ。
その『自信』は功徳や納得のいく現証からでしか得られるものじゃないと思うんですよ。
『余計な手間』がかかるぐらいならスルーして活動に時間を使う、というのが普通になってしまうだろうとね。
これはけっこう多く見かける趣旨だけど。

今よりさらに少しネットの時間は減るかもしれないから今の内に。
このぐらいでへこたれるような軟なやつではないと感じている。だからこちらもそのまま話した。これは事実です。


# by taicyan0402e | 2014-05-31 21:29 | ブログ

『噂』が入らなければ行く気はない、とコメント欄で書いた。
記事にしてる、という事はそういうことでもあるのだけど。
このまま『放置』しようかとも思ったのだけどね。

己の『想念』を元に『正当化』しようとしている、そう見えてならないなぁ。
同じ想念を元にするのでも『感謝』を想念にする努力ならこれもまた別次元の現証となるだろうけれど。
どういう内容を『想念』に据えるか、それはそれぞれがネットのみならずリアルにも『現証』となって顕れてしまうだろうね。こんな事を僕が書いてるのは『一念』という基本過ぎた教学もぜんぜんわからずにやってる様子が伺えたから。そうでなければ『現証』と書かれた意味を理解できないはずはないから。

『くだらない次元の話』をしてるとしか感じてない。
僕をどう書くにしても以後は自分へ返ってくるだけですよ?
またその『想念』はリアルでも相手が変わるだけで顔を覗かす事も当然あるわけです。
それは僕のせいではなく自己責任です、ということですよ。

『認められないのは相手が愚かだからだ!』

これじゃただの『外道』でしょ。こんな事を言われたって笑うしかないものf^^;
組織についてても昨日今日入ったような程度の信心理解なんでしょうか。
『内徳信仰』という点ぐらいしか相対的に指摘することができない様子ですね。
『正しい』というのは『現証』を以てすることでしょ?
『ネット』でなら何が相当するかぐらいもいちいち言われなければわからないのでしょうか?
己の『想念』でもって己の信心を狂わせている、そう判断するしかないでしょう。

『組織』が悪いのか『本人』が悪いのか。

いずれにしろ僕を『愚か』と設定するのは僕はかまわないけど(別に僕へ返ってくるわけでなく自己責任になるだけであるから)、『想念』を元にやるんじゃ実質念仏信仰状態でしょうね。『信じる』のと『念じる』のでは全く別宗教だろうに。ネットでも地獄の様相を見せていながらでは裏付けてるも同然の状態で確かに『褒められる』のは恥と感じますよ。念仏信仰をするつもりなんてサラサラないでしょうけれど僕もそうです。

『創価学会念仏風』でしょうかね。

さて、もう必要性はないだろうと判断したからこの件はここまで。

後はそれぞれの自己責任に委ねましょう。


# by taicyan0402e | 2014-05-30 21:51 | ブログ

恋愛四季~アナザー~ 春①

-春-


「たいちゃ~ん!」

「まなぁ~、そんなに急がなくても大丈夫だよぉ~」

スーパーの買い物帰りの二人。太一と真菜は近所同士で昔から仲良くしている。

「たいちゃ~ん!はやくはやく~!」

「まったく真菜はせっかちだなぁ(汗)」

今日は二人とも休日。あまり外出しない太一を真菜は「荷物係」としてなかば無理やり引っ張ってきた。

「はやくっはやくっ♪」

「こんな役はカンベンして欲しい(涙)」

「はやくぅぅん♪♪」

「これだから女はこわい(汗)」


母なる海は多くの生命を育んできた。心は永遠なのか。

この物語は「心は永遠」をテーマに小説したものである。


‐フィクションであり名称など実在するものとは関係ありません‐



<テーマ・恋愛四季>


春のそよかぜ 私を包む

手を繋ぎ春の記念写真

夏は船から見える赤い地平線が好き

ずっといつまでも続くと思っていたのに

桜舞い散り 冷たい海水
枯れ葉舞い散り 凍える吐息

この海の下 私も舞い散る


秋の夕暮れ 私を包む

寄り添い 秋の記念写真

冬は静かに小さな真白舞う景色が好き

ずっといつまでも続くと思っていたのに

桜舞い散り 冷たい海水
枯れ葉舞い散り 凍える吐息

私も静かに小さく舞い散る


幸せの黄金のように輝く真紅の心

それが私の願い

桜舞い散り 冷たい海水
枯れ葉舞い散り 凍える吐息

この海の下 私も舞い散る



作詞‐太ちゃん


# by taicyan0402e | 2014-05-30 12:16 | 恋愛四季~アナザー~(小説)

『灰汁』を出す時期

ネットをする学会員は『現実に抱えるコンプレックス』を自覚しながらの人がけっこう多い。
というより、むしろそれがネットでの実情だろうと思うけどね。
かくいう僕にしてもその辺りはあまり変わらないだろうけど。

このブログを本格的に始めるキッカケだったのだけど、この数年は組織不信から信仰を退転する人が極端に顕著になっていたからなんだけど。
どうしたらいいか、ネットで彷徨っている状態ではリアルの組織で指導や相談どころか『悩みを打ち明ける』ということさえ誰もいないからというのが実情だろうと思う。そういう方へ『ありきたりの決まり文句』を投げかけたとて『そんなことわかってるけどできないの!』というのが本音になってしまうだろう。
ネットでも納得できる答えが見つからなければ信仰から退転するしかなくなってしまうし、ここ数年は実際に顕著でしょっちゅう見かけるようになってきた。まぁ『危険信号』を感じたわけです。

こうなってしまうのは『功徳』がどういうものか実体験できていない場合が実は普通だったりしていた。
『功徳』も感じられず、『勧誘』ばかりの強要ではむしろ『不信』になって当たり前だからね。
これはほとんど例外なかったですよ。

それであるから『内徳信仰』を『お試し期間』として勧めたいと思ってここを本格的に始めたんです。
『実感』が湧くぐらいはすでに結果が数人から聞かされてます。
大きな問題にはちょっと難しいにしても、『功徳』がどういうものか実体験できるぐらいに構成していく予定です。

コツがわかれば後は当人次第というのもあるけど、真面目な心境で続ければ当人の御本尊様が自然に好転へと導くでしょうから。
そのための『キッカケ』としての位置がこのブログの目的です。

なので、逆にいえばすでに組織で順調にやれてる方には向いてないともいえるんですけどね。
組織ですでに順調にやれてる人はそれでいいと思ってますから。

それで、この記事タイトルだけど。
『目指すところ』がずっとわからなかったから最終的部分ばかりの追求をしてきたんですけど。
その部分は理解できた感があるから、今は最終的部分に到達するためにまだ欠けてる部分の『補完』の必要性が生じているというか。
『最終的部分』というのはある意味『理想論』ともいえるのだけど、だから『実感』として感じにくい状態という側面があっただろうと。それを変えるには『人界』の生命をちゃんと実感として体験してしまうのが結局は早いという判断です。まずは自分自身をあるがままで自覚できる(情報の純度を上げるため素直にそのまま物事を見れるように)、というプロセスの必要性ですね。

思えば僕の人生って『一般的な人間らしい生活』とは縁の無い状態というか(笑)。
これでは『欠点』となっていたのがわかったのだけどf^^;

しばらく続ければ『何か』を学べる事になる直感がしてます。そして、これでようやっと『菩薩界』へと自然に移行できるだろうと読んでます。しばらく前のは無理な部分が生じていたのが明らかだったから。その『調整』に必要なプロセスですね。

当面は『善悪』『正誤』などは一時的に無視して『素直』をテーマにします。
これはそれほど長い期間は必要ないだろうけど。


# by taicyan0402e | 2014-05-27 18:57 | ブログ