フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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全ての人を活かす

記事タイトルは言うは易く、というものかもしれないけれど。
最近の僕は徐々に優しくなってきてるようになってるのかなぁと。

この数年というか、年末辺りまではそうではなかったのだけど。
最近の記事を見てる人なら『違和感』のある記事でもあえて削除してないです。
それも僕の『歴史のひとつ』ですから。

ハッキリと変わるキッカケの記事が残ってます。
http://taicyan42e.exblog.jp/20141071/
『縁覚』では三悪道は救えない??

まぁ記事タイトルからわかるように我ながら『ずいぶんひでぇこと言ってんなぁf^^;』と読み返して感じたけれど(笑)。と、現実逃避でもしとくかf^^;

意味の理解としては、ここが僕の原点でした。後は理解の上乗せです。
あの記事の当時辺りまでは、とにかくトラブルになるだけで『結果』がほとんど伴わなかった。
しばらく思案して『原因』に気が付きだしたのがあの記事になったんです。

『縁覚』は理屈を求めてる人にはしばらくの間で最適だし、『本質』というのが体感的に理解するには最適なのは事実なようです。けれど、縁覚では超えられない『壁』が生じてしまうんです。別に難しい事でもなく『理屈』ではない価値の人です。というか、信仰をしてる人は特にだけど『正しい姿』を本能的にすでに知ってるというか。その『正しい姿』と相手が一致しない事には本能的に『誤り』と直感してしまうんです。それが普通の人が普通に感じる『普遍的心情』というか、そういう部分をなかば『縁覚』だと否定してしまいやすくなるから、それで相手は『正しい姿ではない』とすでに『直感』しているから理屈の内容に関わらず『却下』されてしまうんですね。

信仰者たる者、やはり関わる全ての人に幸せになってもらいたいもんです。
だから『気になるところ』を見つけてしまうと『指摘』したくなるんですよ。
それが相手の『幸せ』と信じてるし確信してるから。
真面目で素直な人ほどそうしたくなるんです。

僕のこの数年の実際のところ、相手はほとんど怒りを表すか良くて当たらず触らずの態度をするか。
それが数年の間で見てきた『相手の態度のほとんど』なんです。
これ以上やってもどうにも『目指してる結果』とはほど遠いように普段から薄々感じていたから、それである日に直感したのがあの記事です。なので、あの記事にはあの当時の『名残り』があるわけなんだけどf^^;

縁覚の限界を超えるには、普遍的心情までも含めた『方便』が必要、という結論はすぐに出ていた。
『方便』としては『全ての人の幸福の追求』ということで。けどそれって結局は『菩薩』ということなんですけどね。

キッカケとしては『縁覚』での方便の力量をつけるべく『菩薩』をやろうとしてきた、というところだけど。けどどうやら『菩薩』と同時に『仏界』の方便も同時にやろうとしてるように直観してるけれど。別に意図してそうしてきたわけでもなく、自然にそうなったけど。だから教学知識があまり無いのもあって『教学の裏づけ』にはちょっと弱いかもだけど。

それでも、どうやら『全ての人を活かす』というのがどういうことか、なんとなくわかりかけてきてる感触があります。
菩薩は『同情』が方便だけど、より積極的な同情が『感謝』ということなのではないか、と最近は感じてます。また『全ての人』を対象にしてるから、それって『相手選ばず』と同じことではないか。結局のところこれが『絶対的幸福境涯』へ目指している実感があるんです。

と、この記事は『中間まとめ』のような『僕の歴史』として。

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by taicyan0402e | 2014-03-31 21:21 | ブログ | Comments(2)

『自行』をやらず『行』だけやると?(本題・告知後)

『自行』をやらず『行』だけやると?(前置き)へ


やや連載的に過去の体験談を話してますけれど。
たぶんこのブログに訪れてる方は理屈とかより体験の方に興味あるんじゃないかと感じて試験的にやっておりますが。

それで、作業終了後に組立課にいる『派遣社員』で同じ直の人(工場は二つの直があります)が集められて事実上の『リストラ告知』がなされました。
言い様としては『リストラをするかもしれない』という曖昧な言い方の説明でしたが、『するかもしれない』どころかリストラするのがハッキリしてる様子が誰でも感じられている状況です。僕以外の工程でも『後釜』になる人がほんの数日前より次々にすでに送り込まれてましたから。それで、『告知』の日はそのまま帰りです。

翌日は『異様な光景』です。
綺麗に一列にならんで立ちぼうけの『カカシ』が、前を見ても後ろを見ても長く連なってましたから。名目としては後釜の人に作業ミスが無いか『チェック』だけど、実際にはただ『突っ立ってるだけ』です。それも休憩に入るまで約二時間も。突っ立ったままほぼ何もできずです。

10時の休憩に入る前に、同じ派遣元の仲間がすでに『ロコツなリストラ目的のイヤガラセ』が行われてました。まぁその人も人間性にはちょっと問題はあるものの、作業そのものはソツ無くこなす人で、同じ日に配属された『同期』の仲間なんですけど。
人間性に問題ある、というのは『ガム』を噛みながら仕事していて、ハタ目にも印象があまり良くないというか。けれど、作業そのものに問題は無かったから『容認(というより黙認)』されていたわけです。これを『リストラのイヤガラセ』に利用してきたわけですね。

約一ヶ月も黙認していながら、『告知』の翌日に『態度の厳しい注意』ですから、冷静に判断すれば『リストラ目的のイヤガラセ』であるのがわかる事なんですが。なにぶん『ヤンキーあがり』というのもあって、『怒るほどの事でもないつまらない注意』であるのが明瞭であるのに、『仕向けられてる』というのに自覚できずキレてしまっていて辞めると言い放っていた。裏表のあまり無いのは美点かもだけど、こんな単純では世の中を渡っていけないだろうにf--;
それで、キレてしまい、そのまま作業を放棄して帰るとかf--;

と、一例を出したけれど、他の派遣社員へも『キレさせやる気を無くさせるよう仕向ける』という共通のことが現場責任者が派遣社員へ行っていた行為でした。
すでに簡単に書いてる僕自身のことは『告知』の翌日で、お昼休憩後のライン稼働中で起こったことですけれど。

後工程の一定区画の現場責任者が、僕のいる工程の『ミス』を言ってきました。
一回目は軽く注意というぐらいでだけど。
『管理番号のようなシール』を貼る作業もあるのだけど、それが剥がれ落ちてたと。
僕はこの約一ヶ月で一度もそんな事は起こらなかったです。
それもそのはずで、厳密にミリ単位で正確に貼るような作業ではなく、貼る位置の誤差2センチ程度ではいけないけれど、1センチ程度なら問題ない作業だから。精密さが要求されるわけでもないし、ぶっちゃければ幼児でもできる部分の作業だから。

『不自然』に感じたものの、後釜の人に一応『ミス』を言われたのを告げて、僕は後釜の人がシールを張った後に、貼られたシールを僕の方でさらに強くくっつけるように『保険』のようなことをした。普通に考えて『イヤミ』になるけど仕方ないから。それは後釜の人もわかっていた様子(というよりリストラ目的のイヤガラセという事も)。

それから約30分後、再度の『同じミス』を言ってきた。これはいくらなんでも『ロコツ』だ。まぁ後工程責任者はあまり人間関係を良好に保つのは苦手としてる人物だから、それがこの時は僕に『幸運』となってしまったというか。『勘違い』の範囲ともし僕が感じていたならおそらく『意図通り』となってキレてた可能性はあるけど。

『キレさせやる気を無くさせる目的のイヤガラセ』であるのは明瞭だから、それで僕はイヤミのように丁寧過ぎる謝り方をしたものだから、後工程の現場責任者は『困惑』したのがわかった。まぁ『不器用な人間性』だから年上の僕は『可愛らしい人間性』とも感じていたから落ち着いていられたのだろうけど。相手は良心がやはり痛んだのだろうという表情だったけどね。それで僕は変に『同情心』が沸いた。『本心』でない事をやってるのは『上からの業務命令』であるのが読めたから。『上』といっても現場の総責任者でもないのが明らかだ。『総責任者』もまた『上からの業務命令』であろから。と、なれば『上』の指すところは『工場長』からの指示でなされている事であるのはまず間違いないだろう。つまり、この若い現場責任者もまた『工場長』からの業務命令による被害者である、と判断できる。同時に、『上』は現場の状況をあまり知らずに『業務命令』を出してる様子も伺えた。それであるから『現場』の責任者に特に『理不尽な負担』がかかっていたのだね。それは普段から薄々感じていたけど、ここでロコツに顕れたというか。いわゆる『縦割りの弊害』というか。

ともかくもその日はそのぐらいで作業は終了した。


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by taicyan0402e | 2014-03-31 11:07 | 体験関連 | Comments(6)

今日の意気込み!

今月は笑顔で過ごせましたか

今日を笑顔で終え明日の笑顔へと繋げよう!

笑顔の日々で相互感謝の日常を!

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by taicyan0402e | 2014-03-31 06:40 | Comments(0)

『自行』をやらず『行』だけやると?(本題・告知の日)

『自行』をやらず『行』だけやると?(前置き)へ

やっと本題に入れるというか。
配属されて一ヶ月も経たずに『リストラ騒動』という事になり、人によっては重大犯罪をやらかしてしまうような『環境』にあった、という背景を長く話しましたけれど。
工程の習熟中で真っ先にリストラ対象となるも、結局は切り抜けて年末の派遣社員一斉解雇まで生き残った経緯をこれから話していきます。ちなみに一斉解雇時には派遣社員は一割しか残っていなかったです。

リストラ騒動の一ヶ月前の『工場長の下見』が現場では『発端』とみるべきでしょうか。
先に述べた通りで、前任の工場長は『不具合』があると真っ先にすっとんできた姿勢であったようです。しかし、僕が配属されてから年末の派遣一斉解雇まで工場長が現場を見に来てたのは、リストラ騒動の一ヶ月ほど前に一度来たのみです。この『姿勢』の違いも『重大事件』を象徴してるというか。

配属されて間もない僕でも『現場監督者』に理不尽なほどの責任の丸投げを肌で感じられていました。先に話した『家庭的雰囲気』というのも、上層部からの理不尽な責任の押し付けに対抗するための『戦友』として接していたのかもしれませんが。『派遣社員』には『使えるよう育てて使う』という事になるのも、上層部の意向というか『縦割り』の弊害の現実的対応だったろうと。『使えない』からとて上層部に文句ばかりも言えないでしょうから。それなら『育てる』しか手段が無いわけです。別に何も優しいからという理由なわけでもなく、それが『現実的な仕事』でしょうから。ともかくも派遣社員にとっては非常にやりやすい職場環境にあったのは事実です。

僕の配属された工程の直属の現場責任者(班長)は、人柄も柔かでたぶんさらに上の役職になるまでは時間の問題に感じてました。教え方も非常に丁寧で僕は尊敬さえしてました。『人生の先輩』としても。そんな雰囲気の中で任されようとしている工程の習熟をしていたわけです。

そんななか、ある日に『工場長』が見回りに来るとか朝礼時に通達がありました。
休憩中に聞いた先輩方の話では『珍しい』とも。他に『前の工場長は不具合があるとすっとんできた』とも。だから『珍しい』と感じたんですね。時期としては僕が配属されて間もない頃です。まさかその『見回り』から一ヶ月経つか経たないかで『リストラ』なんて話が出るとは予想だにしてませんでした。

それから約一ヶ月の間近になり、ある日に何の知らせも無くラインが動いてる最中にいきなり『後釜』としてこの人に作業を教えて欲しいと現場監督者から。工程の移動なのか聞いても聞こえなかったようにスルーをされた。とりあえずそういう『指示』だから教えてたのだけど。

二日間はそのまま教えていて、三日後の朝礼時に『派遣の人は作業終了後にみんな集まって欲しい』とのこと。この作業終了時の集まりでの『リストラ告知』の直前タイミングまでは現場監督者も社員さんなどもみんな普段通りの『家庭的な態度』でした。


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by taicyan0402e | 2014-03-30 09:38 | 体験関連 | Comments(0)

今日の意気込み!

今月最後の日曜日

笑顔の一日で今日もを終えよう!

そして来月は笑顔で始めよう!

笑顔で相互感謝を目指しましょう!

今日も絶対無事故で!

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by taicyan0402e | 2014-03-30 07:15 | Comments(0)

驚異的な容体

今日の新聞には『第39回「SGIの日」記念提言に寄せて』とやや大きめの字で書かれて、一面のけっこうな範囲で記事があるけれど。
これを読んで「おや?」と感じた。

ネットで調べたら確かになされていた様子の情報があった。

SEIKYO online (聖教新聞公式ホームページ)
http://www.seikyoonline.jp/president/teigen/1211334_1916.html
『第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」(上) 創価学会インタナショナル会長 池田大作』


実をいうと、二年前にひょんなことから先生の容体を簡単に聞いた。
具体的にどんな立場の人物でどんな内容を聞かされたのかは今は明かすべきではないと判断してるから明かさないけど。一般の人だってこんな容体を書かれたくはないだろう、という内容を聞かされた、というぐらいに留めます。

二年前のその容体なら書面なりで『提言』は可能とは感じるのだけど、それから二年経った今年も『記念提言』ができたというのは素直に『驚異的生命力』と感じるほかない。一般の人なら二年も経ったならまず無理な容体になってるだろう。『第一線』を退いたとはいえ、これだけ驚異的容体は驚愕に十分値すると感じる。先生は今のこの時期でもちゃんと『題目の功徳』を身を以て実証をされておられる、と感じました。もちろんご自身のみならず全国世界中からの『贈り題目』もたぶん効果を助長してるひとつであろう事は推察する事ができる。いくらなんでも驚愕過ぎてるから。

たぶん先生の今のタイミングの様子などは亡くなられた時にでもある程度を本部は発表をされるのではないかと思う。学会員には様々な問題と戦ってることを配慮しておそらく容体は簡単にしか明かされないぐらいは読めるから。

本部で発表する時がきたら、そのタイミングで今回の記事で明かしてない部分を含めて改めて趣旨を記事にします。

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by taicyan0402e | 2014-03-29 10:19 | 組織関連など | Comments(8)

今日の意気込み!

今月最後の週末

今月総決算の笑顔を!

笑顔で今月を終えましょう!

笑顔の花園に囲まれた週末を!

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by taicyan0402e | 2014-03-29 08:59 | Comments(0)

『自行』をやらず『行』だけやると?(前置きの補足)

『自行』をやらず『行』だけやると?(前置き)へ

背景説明が長くなってますが。なにせニュースはやはり『大衆向け』ですから仕方ないと感じております。補足的に背景を話す必要もありますから。

前の記事では僕自身の初期辺りを主に話しましたが。
『ロコツなリストラ』の全体部分では『立ちぼうけのカカシ状態』ですが、前の記事で僕自身のものを話しましたけど。派遣社員へは『キレさせてやる気をなくすよう仕向ける』ようなやり口が他の派遣社員へなされていた共通部分でした。『あえて怒らせるよう強要した』というか。

現場の普段は『家庭的雰囲気』というのは述べましたけれど、それが『現場監督者』の本心なのが明らかです。表面だけでは『信頼を裏切られた』としか映らないでしょう。しかし、『家庭的雰囲気』の『現場監督者』がそういう事をしているのは『本心ではない』のが冷静になればわかることなんですけどね。なにせ『カカシ状態』を見ては『自分の将来の恐怖』から『平常心』を失わざる得なく、『判断力』の鈍ってる状態でさらに『キレ』させるのだから。派遣社員だけで数百人はいるだろうし、中には『暴走』してしまう人がいつ出ても不思議ない雰囲気はあったから。工場側はその『暴走』が『辞める』という見込みの元で『ロコツなリストラ』を行っていたのだろうけど。指示はまず間違いなく『工場の上層部』から出てるのが明らかです。けれど、そこまでの判断は実際のところ『派遣社員』には厳しい面もある。何の問題も無く『派遣社員』をやってる人はごく稀だし、特に『人間関係』を苦手としてる人が多いように感じる。『人間関係』を苦手としてるから『派遣』という選択をしてるのも多いなか『仕向けられたトラブル』の対応はやはり困難だろうと感じる。

『ロコツなリストラ』の日々は、一日を経るごとに毎日で徐々に派遣社員が減っていった。作業する工場建物内で名札のプレート板を、出勤と帰りでひっくり返すのが派遣社員の義務だけど。毎日で確実に減ってる『ひっくり返ってない名札』はまるで『お亡くなりになりました』とでも言うかのよう。『位牌』のように見えてしまう。『他の人はどんどん辞めてるのだぞ?』というのを無理やり見せつけられてるかのよう。

けれど、先に話した通りでこれは『現場監督者』の本心では無いのが明らかです。
早い話が『現場監督者』も『ロコツなリストラ』の迷惑を蒙ってる『被害者』のような状態ということなんですが。派遣社員はただ『辞める』ことができても、『現場監督者』に最も『リスク』がかかってしまうのが明らかなんです。『問題』を抱えた『派遣社員』をキレさせるのだから。『キケン』という文字が常に恐怖を感じていた事でしょう。最も『理不尽を蒙った』のは『現場監督者』です。ただでさえ残業手当だってまともではないようだし。工場の上層部は『世間知らずのお坊ちゃん』を薄々感じていたし、『責任の理不尽なほどの丸投げ』をされてる様子も伺えてたけど。そいや事件当時にテレビで『記者会見』をとりあえずやったとかを工場内で『噂話』として聞いた。そのニュースをテレビで見て、会見に出てる三人の顔ぶれ。やはりというか『世間知らずのお坊ちゃん』を印象として感じた。これでは『現場』の現証を納得したというか。

『ロコツなリストラ』の一ヶ月ほど前に『工場長』が工場内を一通り見て回っていたようで、僕も見かけた。ラインの動いてる最中もあって顔を覚えるほどは見なかったけど。社員さんが言うには『珍しいこと』だそうですが。前の工場長は『不具合が出るとすっとんできてた』そうですが。そうした『姿勢』からしてもやはり『不自然』に感じてしまうんですね。おそらく『リストラ予定の現場の下見』であったのでしょう。

背景・様相の話はこのぐらいでいいでしょうか。
次からようやっと本題部分に入れます。


次へ

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by taicyan0402e | 2014-03-28 11:32 | 体験関連 | Comments(0)

今日の意気込み!

たくさんの笑顔の花に囲まれた日々を!

自分から笑顔を!

笑顔で笑顔の連帯を!

心を拓くは感謝の慈愛と文化力!

感謝の慈愛を豊かな文化力で優しい方便を!

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by taicyan0402e | 2014-03-28 09:26 | Comments(0)

今日の寸鉄だけど

『聖教新聞』には最近はたまにネットについてのものがあったりしてるけれど。
ちょっと引用しますか。



ネット利用者7割、中傷の書き込み見た事あり。
言葉の暴力許さぬ社会を



文面はこうなっているけれど、内容からしていわゆる『荒らし』を指してるものと判断したけどね。
『荒らし』にもタイプはいくつかあるけど。
ワザと不快な表現をして『関心』を引こうとするものが典型的だけど。
いわば『親』に対して問題行動を取り『関心』を引こうとしてる姿のようなもんですけどね。
『自覚』してワザと『問題行動』をやっているのだから、わかってやってることをことさら注意したとてまず改善には結びつかないんだね。『予測』という心理的防御のような『盾』に注意という『剣』を突き刺そうとしたとてやはりなかなかうまくいかないんだな。相手は絶対の自信を持って『盾』を構えているから。

まぁけどこういう事をしてしまうのは、リアルで周囲から『相手にされない』からなんだろうけれど。『相手にされない』のにも原因があるわけだけど、たいがいは自分が何をやっているか見えず周りだけしかわからないから『地獄をめぐる』ような苦しみからネットで『荒らし行為』をやってしまうのだろうけど。

『生き地獄の苦しみ』からやってるような『藁をも掴む』という状態だからね、これって。
『藁』になってくれる人が欲しいからネットを利用して『荒らし行為』でもって『藁』になる人を募ってるわけだけど。

普通に注意してるだけでは『藁』にしかならないよう仕向けてくるんよ、ほとんどが。
加えて言えば『荒らし行為』というのは閑散とした活気の無いところではまず見かけない。ある程度は活気のあるところでしか見た事ない。

『荒らしはスルーを!』というのが対応として一般的というか一番見かけるのだけど、活気のあるところというのはそれなりに参加者も多く、個性もある程度様々であるからうまくいった例というのは実は一度も成功例を見た試しがなかったりなんだけど。

数は少ないけれど、荒らしをやめさせ『解決』した例も無いこともない。
共通しているのは『心情に入り込む』というか。
荒らしが安心して普通に話せるぐらいの人がいると、それで解決へ向かった例ならいくつか見かけたことがある。『藁』ではなく『安心して掴める浮き輪』を投げ込んだようなもんだけど。


ここで再び新聞の寸鉄だけど。

『言葉の暴力許さぬ社会を』

これだけでは『正義を行うのが正しい』と解釈するのが普通だと思う。
僕のこのブログを見るぐらいなら『荒らしとの罵倒合戦』をネットで見かけた経験がおありなんじゃないかと感じますが、まずそうなってしまう宿命なんですよね。
これはたぶん『言いたかった趣旨』と実際に言葉にした『方便』が合ってなかった部分だろうなぁと直感したけど。

罵倒合戦に陥るだけ、という光景になるのを避けるには、相手が誰であろうと『相互感謝』が起こるような方向性での対応がベストです。『荒らし』にもいくつかタイプがあるけれど、『相互感謝』を助長する対応のための『方便』の力量がついてくればある程度は対応できるようになりますよ。つまり『相互感謝の助長目的の方便』が『安心して掴める浮き輪』のようなもんですけどね。けどまぁ、それさえ拒否されてしまう事も残念ながらけっこうあって今のところ完全ではないけど、これはひとえに僕自身に『実際の方便』の力量がまだ十分ではないからと感じてます。これは経験で補うしかないけど。

寸鉄の『許さぬ』は『相互感謝を阻むあらゆること』についてであって、その実際の対応は『相互感謝』を助長する目的の『方便』を用いることにあると僕はみました。

ちなみに

経本の最後には『世界の平和と一切衆生の幸福のために』とあるけれど、『一切衆生』とは別に学会員を限定したものではないんですね。信仰してる人もしてない人も全ての人を含めての『一切衆生』なんですね。当然ながらいわゆる『反学会』の方も『一切衆生』に含まれているわけです。もっとリアリティーに言えば自分と何らかの『接点』のある全てということになるでしょうか。

『反学会』さんや『信仰してない一般の方』さんの幸福までも含めた信仰が創価学会の『日蓮仏法』だと思うしだいです。学会員かそうでないかで実際の対応は変えないとおかしくなるから『区別』は必要だけど、そうではなく『差別』をしてしまえば『一切衆生の幸福』を実際には否定してる事と同じわけで自分で福運をなくすことに繋がってしまうわけなんです。相手の仏性を否定してることに繋がってしまうからですけどね。それは結局のところ自分の仏性の否定にもなってしまうんです。

そして今は学会員も反学会の方も気持ち的にはあまり『区別』しなくなってきてるんですよ。
誰であろうと『仏性』が存在してるのを確認したいくつかの体験からなんですけどね。

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by taicyan0402e | 2014-03-27 07:54 | ブログ | Comments(0)