フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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カテゴリ:御書・御文( 4 )


『立正安国論』とはどういうものか現代語で

※途中までですが立正安国論がどういうものかわかると思います


立正安国論

僧侶日蓮の勘(かんが)え


旅人が来て嘆いて言います。

近年の正嘉元年(1257)のころから今年文応元年(1260)にいたる4年の間に、大地震や大風などの天変地異が続き、飢饉が起こり、疫病が流行して、災難が天下に満ち、広く地上にはびこっています。

そのために牛や馬はいたるところで死んでおり、骸骨は路上に多数あります。

すでに大半の人びとが死に絶えて、この悲惨な状態を悲しまない者は一人もいません。

そこでこのような状況から逃れようとして、ある者は

「苦悩と罪業を滅ぼす利剣は弥陀の名号(みようごう)を称(とな)えることである」

という中国浄土教の善導(ぜんどう)和尚の般舟讃(はんじゆさん)の文を信じて、一切の行を捨ててただひたすら西方浄土の教主阿弥陀仏の名ばかりを称え、

ある者は

「わが名号を一たび聞けばもろもろの病(やまい)はすべて除かれ身も心も安楽となる」

という東方薬師如来の誓願を信じて、その経文ばかりを読誦しております。

またある者は法華経薬王品の

「この経はこの世界の人の病の良薬であるから、病める人がこの経を聞けば、病は消滅し、不老不死となろう」

という言葉を仰いで、法華経を真実の妙文と崇め、

ある者は

「般若経を講讃すれば七難は消えて七福が生ずるであろう」

という仁王(にんのう)般若経の句を信じて、百人の僧がこの経を講ずるという仁王会(にんのうえ)の儀式を営んでいます。

またある者は秘密真言の教えによって五つの瓶(かめ)に水を注(そそ)いで災難を除く祈祷を行ない、ある者は坐禅をして精神の集中をはかり、すべてを空(くう)と観じて苦悩から逃れようとしています。

またある者は七鬼神の名を書いて門(かど)ごとに貼ったり、ある者は五大力菩薩の形を描いて家ごとにかけたり、ある者は天地の神々を拝んで四角四堺の祭という災難を除く祈りを四方の神に捧げたり、また為政者は民衆の窮状を哀れんで、いろいろな徳政を行なっています。

しかしながら、いたずらに心を砕くだけで何の効果もなく、飢饉(ききん)や疫病(えきびよう)はますます激しくなるばかりです。

目につくものは家を失いさまよい歩く者と死者ばかりであり、その死骸は積みあげられて物見台のようであり、また水に並べられて橋のようです。

思いめぐらしてみると、天には日月が昼夜を照らし、木星・火星・金星・水星・土星の五つの惑星は玉を連ねたように規則正しく運行し、地上では仏法僧の三宝がいまだ滅びることなく世に尊ばれ、八幡大菩薩の百代の天皇を守護するという誓いの通りに帝王はその座にあって変わることはありません。

しかし、このうち続く天変地異によって、どうしてこの世はこんなに早く衰え、仏法も王法もその威力を失い、すたれてしまったのでしょうか。

これはいったいどのような理由によって生じたのでしょうか。またどのような誤りが原因となっているのでしょうか。


主人が答えていいます。

自分もこのことを心配して、その災難の原因について深く胸中に思い悩んでいましたが、ひとり心を痛めるだけで誰にも話す機会がありませんでした。

さいわい貴方が客としてお見えになり、同じように嘆かれるので、しばらくこの問題について自分の考えているところをお話し申しあげ、お互いによく語り合おうではありませんか。

そもそも、世俗の恩愛を断って出家し、仏道に入るのは、仏の教えによって悟りをひらいて仏になりたいからです。

しかし、いま現実の世の中をみますと、神への祈りもかなわず、仏の威力も現われず、災難はいよいよ増すばかりで、何の効験もないのを見ては、未来の成仏という大事はとてもおぼつかないのではないかと疑われてしかたがないのです。

そこで私はただ天を仰いでは出家の目的が失われたことを恨みに思い、地に伏しては深い憂いと絶望に沈んでいるのです。

私はとても視野の狭い見方しかできませんが、少し経文をひもといて研究してみますと、この災難の原因は、世の中のすべての人びとが正しい教えに背いて悪法邪法に帰依したため、国を護る諸天善神はこの国を捨てて天上に去り、正法を広める聖人も去って帰ってこないから、その隙に乗じて悪魔や悪鬼が押しよせてきて、次々に災難が起こるのであるということがわかりました。

まことにこのことは重大なことであり、言わないではいられないことです。

恐れなければならないことです。


客が尋ねていいます。

近年のうち続く天下の災害や国じゅうの災難については、ただ自分一人だけが嘆いているのではなく、多くの人びとが嘆き悲しんでいます。

いま貴僧を尋ね、尊いお言葉を承ったところ、善神や聖人がこの国を捨てて去ったために、災難が連続して起こるということですが、それはいったい、どのお経に説かれているのでしょうか、その証拠を聞きたいと思います。


主人は答えていう。

それを証明する経文は非常に多く、その証拠は広く一切経にあります。

金光明最勝王経四天王護国品第十二に、

あるとき持国(じこく)・増長(ぞうちよう)・広目(こうもく)・毘沙門(びしやもん)の四天王が仏に申しあげていうのに、

「ある国王があって、その国にはこの経が伝わっているけれども、少しも広まっていない。

その国王も人民も、この経を捨てて顧みようともせず、聴こうともしない。

ましてこれに供養したり、尊重したり、讃歎しようともしない。

この経を伝え広めようとする仏の弟子たちを見ても、尊んだり供養しようともしない。

そこでわれら四天王や、われらの従者や多くの天の神々は、この尊くありがたい妙法の教えを聞くことができないので、われらの身を養う正法の甘露の法味を受けることができず、正法の流れに浴することもできなくなり、そのためわれらの権威や勢力もなくなってしまう。

そうすると、この国には地獄(瞋(いか)り)、餓鬼(貪(むさぼ)り)、畜生(痴(おろ)か)、修羅(しゆら)(闘い)の四悪趣の悪い精神ばかりが増して、人間界や天上界の善心は減り衰え、すべての人びとはみな生死の河、すなわち無明と苦悩の世界に落ちて、涅槃の路、すなわち悟りへの路に背くことになる。

世尊よ、われら四天王やその従者や夜叉(やしゃ)などは、このような国王や人民の不信のありさまを見ては、その国を捨て去って、これを守護しようとする心を起こさなくなる。

ただわれらだけがこの不信の国王を見捨てるだけではなく、その国を守護する多くの諸天善神がいたとしても、みなすべてその国を捨て去ってしまうであろう。

すでにわれら護国の諸天や善神が、みなその国を捨て去ってしまえば、その国にはいろいろの災難が起こり、国王はその位を失うであろう。

そして、すべての人たちは道徳心や宗教心などの善心を失い、ただ縛ったり、殺しあったり、諍(あらそ)ったり、おたがいにそしったり、上にへつらい、事実をまげて罪のない者を罪に陥れるようなことをする。

疫病は流行し、彗星がしばしば出て、太陽が一時に二つ現われたり、日屋や月屋も一定せず、黒白二つの虹が出て不吉の相を表わし、星が流れたり、地震が起きて井戸の中から異様な声が聞こえたり、季節はずれの暴風雨が襲い、五穀は実らず、常に飢饉が続く。

さらに外国から多くの賊が攻めてきて国内を侵略し、人民は多くの苦しみを受けて、国じゅうどこにも安心して楽しく住む所はなくなるであろう」と。〈以上、経文〉 


大集経法滅尽品には次のように説かれている。

「仏法が滅びようとする時は、僧はみな鬚(ひげ)や頭髪や爪を伸ばして、僧としての行儀を失い、戒律も乱れてしまうだろう。

その時、虚空(おおぞら)に大きな声が鳴りひびいて、大地を震わせ、あらゆるものは水車のように回り動くだろう。

城壁は崩れ落ち、人家はことごとく壊れ、樹木の根も枝も葉も花びらも果実も、それらのもっている薬味も尽きはててしまうだろう。

ただ、ふたたび迷いの世界に戻ることのない悟りを得た聖者の住むという浄居天(じょうごてん)を除いては、この世界のあらゆる人びとを養う七味や三精気(さんしょうけ)は残らず消え失(う)せてしまうだろう。

また迷いを断ち、悟りを得るための正しい教えを述べた多くの書物もすべて消滅するだろう。

また、大地に生ずる植物の花や果実も少なくなり、その味もまずくなるだろう。

すべての井戸も泉も池も涸(か)れはてて、土地は塩気を含んだ不毛の地となり、ひび割れて丘や澗(たに)となるだろう。

すべての山はみな燃えあがり、天の竜は一滴の雨も降らさないだろう。

穀物の苗はみな枯れ、その他の作物もすべて枯れはてて、雑草すら生えないだろう。

土が降って昼でも暗く、太陽も月もその明るさを失ってしまうだろう。

どこもかしこもひでりに悩まされるなど、しばしばいろいろの凶兆が現われるだろう。

人びとの間には十種の悪業、ことに貪欲・瞋恚(しんに)・愚痴の三毒がますます倍増して、人びとは父母に対してさえ、臆病な鹿が人に追われて自分だけ助かろうとして仲間をかまわなくなるように、不孝の罪をおかすようになる。

人びとの数も、寿命も、体力も、勢威も、快楽も減って、人間や天上の楽しみが遠ざかって、みなことごとく地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるだろう。

このような悪王と悪僧とが、わが正法を毀(そし)り壊(やぶ)って、人間や天上の道を傷つけるでだろう。

そうなれば衆生を愍(あわ)れみ救おうとする諸天善神も、この濁り乱れた悪国を捨てて、みなことごとく他の国へ去ってしまうだろう」と。〈以上、経文〉


仁王経の護国品には次のように説かれている。

「国土が乱れる時は、(すべての善神が去り)鬼神が力を得て暴れる。鬼神が暴れために万民が乱れる。

外国から賊が攻め寄せて国をおびやかし、そのために命を失う者が多く、君主、太子、王子、百官の間に争いが起こる。

天地の間に怪(あや)しい現象が現われ、二十八の星座の位置や、星や月や日の運行に狂いが生じ、多くの諍いが各地で起こるであろう」と。

また仁王経の受持品には次のように説かれている。

「われ今、仏の眼をもって三世を見ると、すべての国王は、みな過去の世に五百の仏に仕えた功徳によって、帝王国主となることができたのである。

さらにこの功徳によって、すべての聖人たちがその王の国土に生まれてきて、その国のために大いなる利益を与えてくれるだろう。

しかし、王の積んだ福徳が尽きる時には、すべての聖者は皆ことごとく国を捨て去るだろう。

もしすべての聖者が去ってしまうならば、その時その国には必ず七つの難が起こるだろう」と。〈以上、経文〉

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by taicyan0402e | 2018-10-27 19:07 | 御書・御文 | Comments(3)

功徳のコツは感謝をもって御本尊様に向かいましょう!

「御本尊様へ感謝をもって向かうのがコツ」といったのが昔は普通に聞いたものですね。
御本尊様は明鏡ともよくいわれましたね。

『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』
(御書557ページ・法華初心成仏抄)

この御書でいえば『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて』は、
我が心の「感謝(の一念)」を本尊とあがめ奉りて、ということに等しいのですね。

つまりは、妙法蓮華経とは感謝の一念そのものなんじゃないか、そう僕は感じるのですよ。
つまりは南無「感謝」ということですね。
それが表面上は「御本尊様に感謝をもって向かう」ということになるのでしょうね。

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by taicyan0402e | 2018-09-19 20:58 | 御書・御文 | Comments(0)

日女御前御返事(本尊相貌抄)より

『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。』
日女御前御返事(本尊相貌抄)1244ページ

《話し言葉通解》
この御本尊、まったくよそに求めてはいけないですよ?
ただ我ら衆生の法華経をもって南無妙法蓮華経と唱える胸中のなかに御本尊様はいらっしゃるのです!
いうなれば九識論でいう九識の“都”と言う感じの『九識心王真如(くしきしんのうしんにょ)の都』というものです!

「十界具足」とは十界それぞれが一界も欠けることなく一界にそれぞれが納まってるのです!
これによって「御本尊様」を曼陀羅というのです!
「曼陀羅」とはインドの言葉で、訳せば「輪円具足」とも「功徳聚」ともいうのです!

この御本尊もただ「信心」の二字に納まっておられて「以信得入」とはこういうことなんです!


●輪円具足(りんえんぐそく)
https://kotobank.jp/word/%E5%86%86%E8%BC%AA%E5%85%B7%E8%B6%B3-1279798
「円輪具足(えんりんぐそく)とは - コトバンク」より引用

曼荼羅は本来〈本質を得る〉という意である。本質を得るとは,仏の無上正等覚という最高の悟りを得ることであり,この真理を表現したのが曼荼羅であるとし,これは円輪のように過不足なく充実した境地であるため,円輪具足とも訳される。

●功徳聚(くどくじゅ)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=4762
「池田先生のスピーチに学ぶ | 師弟不二ARCHIVEはSOKANET」より引用

信心が強ければ、自分自身が功徳聚(功徳の集まり)となっていく。大聖人は御本尊のことを「功徳聚」と仰せである。

●以信得入
聖教新聞(2015年4月29日付)より引用

我らの御本尊には汲めども尽きぬ功徳が具わっている。「祈りとして叶わざるなし」の偉大な御本尊であられる。大事なのは、私たちの「信心」である。「智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)も、ただ「信」によって初めて成仏の道に入ることができた。広宣流布を誓い、祈り、行動する――その自行化他の信力・行力によってこそ、無量の仏力・法力が自在に顕れ出るのである。

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by taicyan0402e | 2018-03-10 13:51 | 御書・御文 | Comments(0)

法華初心成仏抄より

『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』
(御書557ページ・法華初心成仏抄)


《話し言葉通解》
我が心にあります妙法蓮華経を本尊と崇め奉って南無妙法蓮華経を唱え、我が心の中の仏性が「南無妙法蓮華経」と呼び呼ばれて顕れるところを仏というのであります!

譬えば籠のなかの鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるが如しで、空飛ぶ鳥が集まれば籠のなかの鳥も出ようとするが如し!
口に「南無妙法蓮華経」の妙法を呼び奉れば我が身の仏性も呼ばれて必ず顕れます!
梵王・帝釈の仏性も呼ばれて我等を守るのです!

仏や菩薩の仏性は呼ばれて我が心に現れ歓喜するのです!

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by taicyan0402e | 2018-03-06 12:28 | 御書・御文 | Comments(0)