フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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「小樽問答」『御本尊様は信じて大利益を受ける、これが御本尊様です』

『小樽問答』から

学会側の小平芳平という方が登場し、日蓮宗側からは室住一妙。

小平芳平
大正十年八月十三日長野県に生る、昭和二十二年中央大学法学部卒業、昭和十六年十月入信、当時、創価学会教学部長・教学部教授・大白蓮華編集長。のち公明党参議院議員。

室住一妙
新潟県出身、立正大学卒業、身延山短期大学身延山高等学校勤務。


日蓮宗司会者・松井義海
次に日蓮宗の室住先生を御紹介致します。


日蓮宗・室住一妙
一つ補足をしておきます。

衆生の心が御題目に結びつけられた時に、それが本尊というのであります。御題目は大聖人の又、仏様の御魂である。

この御魂に我々が信ずる時、そこに本当の本尊が開顕せられるのであります。
その中に自ら三大秘法が具足して来るのであります。

その、その本尊の、その本尊の全体を日女御前御書には衆生の信心の妙法に対する御題目の信心のところに真の本尊があるぞ、とこうお示しになってあります。

狐を、狐を拝むということは決して、決して、決して……身延においては、狐を拝むということはないのであります。
稲荷というものは身延においては決して拝んでおらないのであります。

……それは本尊としては、本尊としては大聖人の御心である御題目よりほかには無いのであります。

身延においてもそれは実行しておるのであります。


日蓮宗司会者・室住一妙
貴重な時間ですから、ヤジのために講演をされませんのは惜しいと思いますので皆様の自粛を更にお願いします。


学会側司会者・池田先生
えー、どうやら何もいわないで御坐りになりました。
これはダメらしいと思うのですが……。

えー、次に小平先生……


学会側・小平芳平
えー、さきほど、長谷川先生から弘安二年の御本尊は疑わしいと、ただそれだけのことで一体何がどうしたというのか、もう少し具体的にして欲しい。指摘して欲しい。

特に、特に私が具体的にお聞きしたいことは、それでは、もし弘安二年の御本尊が駄目だ、もし日蓮正宗が駄目だというのなら、どこの信仰が正しいのか。

狐や稲荷を、鬼子母神を、それを祀っているような、それが大聖人様の教えであるか。
こういうことをなんら御説明も出来ないで、ただ大石寺の御本尊は怪しい、それでは、お話にならんと思う。

えーしかしながら、そのことは、すでに私も実際に雑誌に発表してあります。

それで、かいつまんで二、三のことを申し上げておきます。

ただいま、長谷川先生は戒壇の御本尊が、弘安二年の御本尊が、初めて記録に現れたのは家中抄だと仰せられる。

しかしながら、そうではないんです。
とっくの昔から記録はあるんです。例えて申しますなれば、房州の日我というような人も「この御本尊は大変立派な御本尊だ、大変なことだ」というふうにきちっと記録を残しておる。

そういうことを知らないのです。

それから、それではもっと昔になぜ記録が無いかというんですよ、これはです、信心が無ければ御本尊はわからないのですよ。

さきほど申し上げました波木井殿の四箇の謗法、あるいは三箇の謗法と申しますが、この謗法の中にも波木井殿は何でもかでも、釈迦の仏像を立てようとしている。
そういう信心のわからない者に、信心の無い者に、御本尊様がわかるわけは無いじゃありませんか。
御本尊様は信じて大利益を受ける、これが御本尊様です。
それにもかかわらず、ただ飾り物か見世物みたいに、あの時代にあった、無かった、それは信心の無い者は今日本国中の人でもです、信心の無い者には富士大石寺の御本尊がわからない、当り前のことですよ。

五老僧どもをはじめ、波木井殿にしても、何でもかでも、釈迦を本尊としようとした。
このことを日興上人様は五人所破抄において、あるいは門徒存知において、厳しく破折されておられます。

そういう状態でありますから、いつから身延ではお曼荼羅を拝むということになったんだろうか。それをお聞きしたい。

あるいは、お曼荼羅が要らないなら、要らないということをお聞きしたい。以上


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by taicyan0402e | 2018-10-05 08:40 | 教義的 | Comments(0)
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