フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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「小樽問答」から、本尊と感応、本尊の意義

※「小樽問答」とは、学会と宗門が和合時代に日蓮宗とで行なわれた「法論」で、当記事では本尊と感応の話の部分から本尊の意義がわかるところを出します

学会側

小平芳平・大正十年八月十三日長野県に生る、昭和二十二年中央大学法学部卒業、昭和十六年十月入信、当時、創価学会教学部長・教学部教授・大白蓮華編集長。のち公明党参議院議員。

辻 武寿・大正七年四月三日埼玉県に生る、昭和十三年東京府豊島師範学校卒業、昭和十五年七月入信、当時、創価学会青年部長・教学部教授・蒲田支部幹事。のち公明党参議院議員、創価学会副会長・參議会議長。

日蓮宗側

室住一妙・新潟県出身、立正大学卒業、身延山短期大学身延山高等学校勤務。

長谷川義一・東京妙顕寺、日蓮宗東京北部布教師会長、元立正大学教授。



学会側司会者・池田先生
次に学会側、辻先生にお願い致します。

学会側・辻
えー、只今、大石寺の本尊のことにつきまして、長谷川先生から攻撃がありましたが、これについては、小平先生から詳しく説明があります。
心配することはありません。

一つだけ私が申し上げておきたいことは、出世の本懐ということであります。

「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、その中の大難申すばかりなし先々に申すがごとし、余は二十七年なり」。

伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う……余は二十七年なり、余は二十七年にして出世の本懐を遂げたということはどういうことか。
二十七年目にして初めて南無妙法蓮華経をお唱えになったのではありません。そこに重大な意義があると思います。
これは小平先生の分野に属しますから、私は沢山別にいいたいことがあるので、そのほうをやらせていただきます。

先ず最初に、さきほど、室住先生がおっしゃいました、仏像に、身延の仏像には魂がある。
何故、身延の仏像に魂があるのか、その文証を上げてもらいたいのであります。

その次に、人のために祈祷をしても良いということをおっしゃいましたけれども、そういう御書はどこにあるか。

「利根と通力とにはよるべからず」。

祈祷は止めてあるはずであります。

その次に、三つ目、信仰あればおのずから感応するということをいいましたけれども、それは確かにその通り、狐でも狸でも鬼子母神でも信仰すれば感応がある。

但し畜生道の感応があることを私は断言する。

仏を拝め奉れば仏の感応がある。
畜生を拝めば畜生の感応がある。

身延山は畜生の感応があるから堕地獄だ。

次に七面山のことについて。山の電気であって、奇蹟があったと
守護神として報恩のため所願のためにしている。

そういう電気があり、奇蹟があるかもしれません、与えて、あったとしても、そういうものを本尊にせよということを大聖人様がおっしゃったか、どうか。

「法華経の題目をもって本尊とすべし」

とはっきり仰せられているにかかわらず、龍神や畜生を本尊とする理由いかに。

次に御霊骨は身延で御法主が代々お護りして来たというけれども、これは日興上人様が日蓮大聖人様の一切の宝ものと一緒に御霊骨だけ置いて来るわけがない。

ちゃんと大石寺にございます。

次に本尊は衆生の真心をもって題目とする、衆生の真心の題目をもって本尊とするとおっしゃいました。それでは心が本尊か。真心が本尊だとする。

それなら三大秘法は要らない。

本尊と題目と戒壇、まあ、戒壇は与えていってあるとしましょう、戒壇。
題目も唱えればそれはある。
じゃ、本尊は、本尊は心だと。心が本尊ですか。

なら三大秘法じゃない二大秘法じゃないか。
さてこれを奪っていうならば、本尊は、身延に正しい本尊は一つもない。

それが証拠には「南無妙法蓮華経、身延山七十七世日嚴」そんな本尊が、どこにありますか。

「南無妙法蓮華経、日蓮」

こうお認めになったのが御本尊でなければならないのであります。
だから本尊に迷う。

「諸宗本尊に迷えり」という大聖人の御言葉がひしひしと私の胸を打つのであります。
身延山に本尊はない。
ことに身延山の開山である日向、日向の常住御本尊は大石寺にあるんだ。

もう一つ長谷川先生は顕本法華の御僧侶と承わっておりましたのに、いつの間にか身延山の用心棒にお成りになられた。
まことにけっこうです。

これはどういうわけでいらっしゃいますか。失礼しました。

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by taicyan0402e | 2018-09-30 13:22 | 教義的 | Comments(0)
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