フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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池田先生の話と御文、信心の基本

「池田先生の書籍関連」というカテゴリを増やしました。

さて、前回の記事の続きになります。
▼▼▼▼▼▼
池田
 そのとおりです。仏教の平等観の特徴は、すべての衆生に「仏性」を観るところにあります。つまり、それは差別されてる人へ向けられる「哀れみ」ではなく、等しく有する「仏性」への尊敬です
 『法華経』の常不軽菩薩品には、常不軽菩薩がどのような人に対しても、その仏性を尊び、礼拝行を行った、とあります。この「礼拝行」は、サンスクリットで「ナマス・カーラ」「ナマス・テー」です。「あなたに帰命します」という意味です。
▲▲▲▲▲▲
第六章 「宗教的精神」の蘇生――価値を創造する魂
214ページより

池田先生のこの話。
読んで意味がすぐわかるなら、すでに実体験でどういうことか経験済みということになりますが。

理解ということなら、先に信心の基本部分を押さえる必要があります。


『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』
(御書557ページ・法華初心成仏抄)

通解
「わが己心の妙法蓮華経を本尊と崇め奉って、わが己心のなかの仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れるところを仏とはいうのである。譬えば、籠のなかの鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空飛ぶ鳥が集まれば、籠のなかの鳥も出ようするようなものである。口の妙法を呼び奉れば、わが身の仏性も呼ばれて必ず顕れる。梵王や帝釈の仏性も呼ばれて、われらを守る。仏や菩薩の仏性は呼ばれてお喜びになるのである。」

初級試験でおなじみの御文でしょうか。
大聖人様のこの御文はお題目の功徳についてのものというのはわかりますでしょうか?
さて、これを「実感・実体験」するにはどうしたらいいのでしょう?

御文の『南無妙法蓮華経とよび』の「よび」はいうまでもなく、唱題の儀式ですね。
『我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処』になるには条件がある、ということも言われております。
条件を満たしてる上で『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ』と大聖人様は断言されておりますね。

大聖人様曰く『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて』という条件付です。

本尊としてお題目をあげる「我が己心の妙法蓮華経」とは?

ここで十界論・十界互具が関係してきます。
人には等しく十界が備わっています。

十界・十界互具のそれぞれについてはこの記事ではわりあいしますが、最上階が「仏界」になります。
つまり、『我が己心の妙法蓮華経』とは、十界論でいうところの『仏界』を本尊として題目を唱えるところに『我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ』と大聖人様は言われてることになります。

さて、この『よびよばれ』とは何を言ってるのでしょうか。
共鳴する、ということなんですね。

『御本尊様』からは視覚からの縁でもって
『お題目』は声の響きからの縁でもって

御本尊に向かい唱題をするのは、このダブルでの縁でもって感応・共鳴し仏界が蘇生される儀式です。

お題目の「南無妙法蓮華経」は、自分の心にある仏界と共鳴する、ということなんですね。
ある程度の長めの時間で唱題を経験している人なら感じてることでしょうけど、なんともいえない歓喜の気持ちの経験はありますでしょうか。
それが『仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』ということです。
これは実際にやった人でなければ説明だけで理解できる部分でないかもしれません。
『悦び給ふ』とは自分自身に蘇生された仏の心境そのものなんですね。

と、ここまでが先生のあの話を理解できるための前提になります。
自分の中の仏性を確認・自覚できないものを、他人ではなおさら確認などほとんど無理なことです。
なので、まずは自分自身の心境でもって実体験し確認することが必要です。

先ほど話したように、十界はみんなに等しくあるわけです。
他人も自分と等しく仏性も存在してるのを確認する行が常不軽菩薩なんですね。

と、ここでやっと池田先生の話と繋がります。

▼▼▼▼▼▼
池田
 そのとおりです。仏教の平等観の特徴は、すべての衆生に「仏性」を観るところにあります。つまり、それは差別されてる人へ向けられる「哀れみ」ではなく、等しく有する「仏性」への尊敬です
 『法華経』の常不軽菩薩品には、常不軽菩薩がどのような人に対しても、その仏性を尊び、礼拝行を行った、とあります。この「礼拝行」は、サンスクリットで「ナマス・カーラ」「ナマス・テー」です。「あなたに帰命します」という意味です。
▲▲▲▲▲▲

池田先生の言われてる「あなたに帰命します」とは、言葉の上では相手にもある南無妙法蓮華経に帰命します、ということになるけど。
実際にやることになるのは、勤行・唱題の儀式でもって蘇生させた己の仏性でもって、相手の仏性に働きかけ「仏性の共鳴」させることを指して「あなたに帰命します」となります。

さて、キーになってる仏界だけど。
わかりやすく話してる学会員さんの記事がありますので紹介させていただきます。

http://nitiren21.blog.shinobi.jp/%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E5%93%A1%E5%90%91%E3%81%91/%E8%8F%A9%E8%96%A9%E7%95%8C%E3%81%A8%E4%BB%8F%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF
21世紀の日蓮仏法【菩薩界と仏界の違いとは】

『仏界は「感謝・ありがとう」です』とありますが、題目をある程度以上の時間をあげたときに起こる「なんともいえない歓喜の心境」を言葉でいえば『感謝』になりますね。

いわゆる日顕宗にしても顕正会にしても、南無妙法蓮華経のお題目を唱えてはいます。
お題目の言葉自体は同じでも、決定的な違いは「唱えるこちらの一念」が違うんですね。
一切衆生の幸福を祈る題目の言葉を、こちらの一念は利己・保身目的で唱題をすることは、御本尊様(仏界)と明瞭に矛盾し、結果的に御本尊にウソをついてることになるんです。

もっとぶっちゃけてわかりやすくいえば、感謝の言葉を罵倒しながら言えばどうなることでしょう?
喧嘩になること請け合いでしょうか(笑)

しかし感謝だからって怒らないわけでもありません。
それは釈迦が提婆を罵った「人の唾を食らうもの!」というのは有名な話だし、大聖人様にしても時の権力者などを叱った話はあまりにも有名です。

「なに」を目的として怒ったのか。
ここが大事です。

釈迦や大聖人様は単に利己や保身目的で怒ったわけではないのが明らかでしょう。
意固地に利己目的に生きる様をみて怒ってるものばかりです。


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by taicyan0402e | 2017-08-15 19:03 | 池田先生の書籍関連 | Comments(0)
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