フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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http://saburoku.org/dream/?p=3507
十四誹謗は功徳を消してしまう – 夢の醸造所 3.0

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・説明できることと、そのことを体現していることは大きな違いがある。

・説明できることと、実践していることは全く違う。

・言葉のやり取りだけが「声仏事をなす」のではない。相手を傷つけようとの心ない言葉が、仏の仕事であるはずがない。

・十四誹謗は厳に戒めていきたい。同志を謗【そし】ることは、魔に負けた姿であり、結局は自分を傷つけるのと同じであるからだ。



最近思ったことを箇条書きにしてみました。この十四誹謗はなかなかの曲者です。自分もちょっと油断すると、同志を悪く言う命が出てきます。常に、自分で自分を戒めていきたいと思います。
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我々は念仏や浄土を信仰しているわけじゃない。
「素直」に御本尊に向かっていれば、御本尊にだけでなく日常生活にもその「素直」な心境が出るのが自然。
物事の縁によっては「素直」に怒りを感じるものでしょう。
御本尊に「素直」に向かってればむしろ当たり前のことなんです。
自然心理であるものを否定することはかえって現実逃避というものです。

日蓮仏法ってそういうものじゃないと思うんですよ。
価値を創造しゆくから『創価学会』なんでしょ?

現実逃避ではなくて、むしろ現実を直視しながら『価値創造』しゆくんじゃありません?
価値を高めていくプロセスがあるから相対的に「功徳」を実感することができる。

変化に至る最初は『怒り』が発端であっても、それが一切衆生の幸福への『祈り』へと変わっていく。
そうした心境の変化のための自行というものだし、その自行からでの心境を元にした活動なり私生活なりだから功徳を実感できて当たり前なんじゃないでしょうか。
むしろそのプロセスなくして他者を救うなんて難しいことでしょう。

▼▼▼▼▼▼
 もちろん、同志に対しても、言うべきことをきちんと言っていくことは自由であるし、当然、必要なことである。しかし、相手を思って厳しく言うことと、憎しみの心や恨みの言葉は同じではない。その点はよくよく見きわめていかねばならない。
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▼▼▼▼▼▼
・言葉のやり取りだけが「声仏事をなす」のではない。相手を傷つけようとの心ない言葉が、仏の仕事であるはずがない。
・十四誹謗は厳に戒めていきたい。同志を謗【そし】ることは、魔に負けた姿であり、結局は自分を傷つけるのと同じであるからだ。
▲▲▲▲▲▲

引用の上部分は池田先生の指導らしく、引用されてる様子。
引用の下部分はレオさんご自身の思うところの箇条書きのようですが。

“母親が子を叱ってもいけない”とばかりの勢いでどうするのでしょうか。
母親は時には自分の命と引き換えても「わが子を救う」ほどの愛情が普通です。
極論だけど、わが子を救うためには自分は罰をもいとわない、というのがむしろ本物の『菩薩』ではないでしょうか。
これではなんでもかんでも「怒ってはいけない」と言ってる状態です。
そもそもほんとにご自分で納得して記事にされてるのでしょうか。
そうじゃないから先生の指導を引用してるように感じられます。

引用してる池田先生の指導にしても、なんでもかんでも怒っちゃいけないという指導ではないのが明らかです。

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by taicyan0402e | 2017-02-09 22:59 | 『ブログ村』の様子について | Comments(0)
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