フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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ちよさん自分で記事あげてるやん

http://tomotiyoo.exblog.jp/27488245/
【2月闘争 65周年 心の壁を打ち破れ : 真実を語る】

記事をあげようとして、似たような名前の記事が最近あったのを思い出して探したら、たまたま見つけた。

なんだよ

ちよさん自分でしっかり記事に書いてるじゃんかまったく

▼▼▼▼▼▼
『新たな歴史は 一人の挑戦から始まる。
偉大な勝利は 一人の戦いから始まる。
状況を嘆いたり、人任せにしてばかりいては、何も変わらない。
自分が変われば、その分、世界が変わる。
▲▲▲▲▲▲

ちよさん自分でしっかり書いてるじゃないか

その後でリレー唱題で福島の壮年さんへあんな言動ってほんとはこの記事を自分で理解してないでしょ?

とりあえず、ちよさんの件はこういう表面のことを言っても仕方ないのかな?と感じつつある。
それもそのはずで、ちよさんの態度は幼児性が明らか。
どういう生き様をしてきてるのかそこまで知らないけど、年齢は十分な大人でも、事実は「幼児」のまま成長できていない、ということです。
甘やかされたか、あるいは逆にあまりかまってもらえなかったのか。
後者のように思うけどその「反動」がこのような状態になってるように見えるのだけど。

「女の子の幼児」なら“お人形さん遊び”はむしろ当たり前。
悪気をもって“お人形さん遊び”をする幼児なんてまずいない。
子供が親に甘えるのは当たり前のことだし、それができなかったから今こうして甘えているのだろうと思う。
善悪の区別がついてないのは、生存本能からではないのか。
食事の不安なども幼児期には感じていたのだろうか。
言っても聞いてもらえなかったなら、幼児ではどうしようもないのだから『諦め』というか「割切る」しかなかったのだろうか。

親への不信が人間不信へ。
人間不信が本尊不信へ。

『信じる』という行為自体に「トラウマ」になってるんでは御本尊の功徳の出ようがない。

考えられるのは、お母様は活動家だったようであるし、家庭が「寒く」なってることに気づいてないぐらいの活動になっていたんじゃなかろうか。
それも、ちよさんの態度からは、幼児の頃からずっと続いていた様子を垣間見る思いがする。
幼児に大人の話が通じないのもある意味当たり前のことかもしれない。

▼▼▼▼▼▼
Commented by tomotiyoo at 2017-01-29 09:44
今日は 母の月命日
昨日は 大誓堂
いい時に リレー唱題ができた事に 感謝!
▲▲▲▲▲▲

わかるだろうか?
「感謝」とはあっても母親への感謝ではない「微妙な一念」の違い。
母親のことは書いても、それよりも「自分のしてること」にすっかり関心が行ってしまってる。
同様に、ちよさんのお母様は「学会活動」にばかり関心があって、娘である「ちよ」さんへは「学会活動」ほどの関心を寄せてるようには「ちよさん自身は感じられなかった」のではないのか。
親子でも『心の交流』は希薄さがあったんじゃなかろうか。

冥益といっても人間の本質部分が変わるわけでもないのですよね。
日々価値的に転換していこうとすることで、それがいつの間にか一生に渡る冥益になってるんです。

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by taicyan0402e | 2017-01-31 22:02 | 『ブログ村』の様子について | Comments(0)
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