フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

<徐々に最優良ブログの紹介をしていきます>
21世紀の日蓮仏法
kaede-midoriのブログ
英語で創価
創価学会男子部・ゴチえもん BLOG
広布の大河に君ありて
内得信仰の日々のブログです(歓喜の中の大歓喜編2018.10.21~)
by 太ちゃん
メモ帳
検索
最新の記事
最新のコメント
情報があまりにも少ないの..
by eco◆Smw69 at 17:11
近年の集中的な自然災害 ..
by taicyan0402e at 08:49
「捉え方」によってだけれ..
by eco◆Smw69 at 22:46
あ!そうだった 太ちゃん..
by eco◆Smw69 at 10:23
一口に中国で片付けると言..
by eco◆Smw69 at 11:00
あべひは寿命が来るまであ..
by taicyan0402e at 18:01
カテゴリ
以前の記事
記事ランキング
外部リンク

激励と御礼です

本文中に出てくる「仏界」

「仏界」の境涯は「感謝」の境涯

「境涯」だから日常的な心境

大長文になりましたが、河合師範のいわんとしてるものは「日常を感謝(の一念の効果)を信じた行動に、顕益や冥益の功徳が起こる」ということなんです。
そのためには、自行での「祈り」の際に「感謝の一念(の効果)」に一念を定めることで、その一念のまま人と関わったりの日常を過ごすことで、成仏に必要な顕益も起こるし冥益にも繋がるんですね。

「感謝」だからって怒らないということではないんです。
「感謝」をもって「悪に怒る」というのがどういうことか、それは一生学ぶことなのかもしれないですね。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/63075
『河合師範の指導 平成10年6月2日寝屋川文化会館』より(ピックアップする順番も配慮しております)

先生は「1人1人の勝利が民衆勝利だ。」と言われている。信心で立ち上がれば、みんなが功徳を受ける。

ただ唱題ではない。祈りです。

「あの人もこの人も味方にしよう!そして広宣流布を大勝利させて自分も勝利しよう!」という強い祈りで見事な勝利をして、見事な自分自身の勝利の1年間にしていきましょう。

そういう意味で、信心の基本をもう1度確認をして、今日からまた前進をしていきましょう。

○○○○○○

いまは栄養不足でみんなヨロヨロしている。みんな疲れています。それでよく頑張りますね。
世界一の経済大国、日本がガタガタになっている。日本自体が破産状態。企業も個人も、お先真っ暗。

なぜこうなったのか?日本の発展は広布の前進と、ともにあった。戦後の歴史をみると、広布が進んでいるときは景気がよい。広布の妨害が入ると必ず不況になる。この繰り返しだった。
でも不況はせいぜい2年だった。今は10年続いている。

平成大不況は平成2年から始まった。平成2年7月16日、日顕がC作戦を立てた。
学会を切って広宣流布をやめると決めた。

その後から今の不況が始まった。これを「日顕不況」と言う。

だから謗法は怖い。最大の根源は謗法。日顕宗の大謗法が不幸の根源。阪神大震災も謗法が根源。
だから日顕を倒すことが大事。全部やられているんだから関係ない人はいない。

しかもその後、山友の策謀で、自民党がくっついて学会をいじめた。だから日本の福運は尽きてしまった。
もう日本は政治でも経済でも救えない。先生は「もう1回広宣流布をしよう!」と何回もおっしゃっている。

今年の年頭にもおっしゃった。

「いまこの世の中が乱れている。だからこそ人々を目覚めさせるチャンスなのである。
日本人の心に強い動執生疑が起っているからである。“大悪起これぱ大善来る”である。
この1年を社会の大悪を大善に変えていく年として参りたい。
我らの勝利以外に日本の夜明けは断じてないからである。」 と。

○○○○○○

信仰というのは、行動の因果ではない。ただ頑張ればいいのではなく、一念の因果、どういう一念で頑張るか、その一念に功徳がある。

○○○○○○

頑張るばかりでは「仏道苦行」で楽しくない。『成果の無間地獄』です。

○○○○○○

戸田先生は、「祈りを叶え、夢を叶え、誰よりも幸福になっていくための仏法である。人生を勝利するための仏法である。祈りが叶ってこそ真の仏法である。」と言われた。

幸せになるための信仰。祈りを叶えるのが信心。

○○○○○○

一昨年4月に奈良に行った。会合終了後に50歳前の圏婦人部長さんが来て、「関節リュウマチで足が痛くて歩けない。医者にかかっても治らないんです。」と言っていた。

「もしかして、治らないと思っていませんか?」と聞くと、「思っています。」と言う。
「それじゃあ治る訳がない。“御本尊様、治りませんよね。”と祈ってるんだから。

願い通りです。御書に“南無妙法蓮華経は獅子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや”とあるじゃないですか。
“ただしリュウマチを除く”とは書いてありませんよ。」と話をした。

「医者で治せないから信心で治すんでしょ。治らないでも治しなさい!」と言ったら、「治します。」と言って帰っていかれた。
次の日、その婦人から「昨日から痛みが止まりました。」と電話があった。それから約半月で治ったそうです。

治らなかった原因は治らないと思って拝んでいたから。決意して祈るから治り始める。
だから病気は治るかではなく、治すかどうかです。決意して強く祈れば必ずいい方にいく。

○○○○○○

3年前にある婦人が来た。「主人がガンであと3ケ月の命と言われた。治るでしようか?」と聞かれたので、

「わかりません。簡単に治るなんて言えません。でもよく戸田先生が、

“医者にかかって治るものは医者にかかれば早く治る。医者が見放したら、もうこっちのものだ。もう御本尊しかない、と決めたときから治り始めるんです。”

とおっしゃっていた。もう御本尊しかないということは、自分の力で治すしかないということ。
そう決めて祈った時に自分の持っている生命力と智慧が湧くんです。仏界が出て来るのだから。
弱さを出すから病気になる。その根源は宿業だから。謗法に汚染された命の癖が重い病気になる。

強さを出せば病気は治る。仏界です。最高の生命力を出せば治って当たり前。そういう面で病気は治るか治らないかではない。
治すか治さないか。本人次第、決意次第。
医者も「重い病気にかかった人が、“病気が治ればいいなあ”とか“治りたいなあ”とか決意の弱い人は治りにくい。

○○○○○○

一昨年の4月に、創価大学の女子学生が来た。
「語学の勉強に海外に留学したいんですけど、 家庭の事情で行けそうにありません。」と言われたので、

「親に頼んでもだめなら御本尊にお願いしたらどうですか?
無理だから祈るんですよ!これから祈れば叶いますよ!前が断崖絶壁で道がないんですから。
祈れば橋が架かるように道が開けますよ。」

と話をした。すると去年の2月15日に、「3月から1年間、アメリ力へ自費で留学することが決まりました、あの時、祈ったら橋がかかっちゃいました。不思議ですね。」と言うから、「だから妙法と言うんですよ。」と言った。
不可能を可能にするから妙法と言う。

○○○○○○

ある婦人部の方は、息子が5年前に家出して行方不明になり、どうしても見つからなかった。
「ようし!祈って見つけだそう!」
と決めて祈った次の日、北海道の警察から電話があった。
免許証の書き換えが遅れたため、息子の身元確認の電話だった。
元気でいることがわかったので「探しにいこう!」と思ったところに息子から
「5年間も心配かけてごめんね。でも元気で頑張っているから。去年学会に入会して男子部で頑張っているから。」
と電話が入ってきて、3日目に見つかってしまった。

○○○○○○

唱題ではなく祈りが大事。婦人部はよく唱題されます。立派です。唱題会も良いが、自分と御本尊は1対1だから、きちんと祈れば叶う。唱題のための唱題では何も叶わない。

○○○○○○

一昨年の2月に姪を折伏した。美大の生徒。
おばさんが願いは叶うよと言ったから、90項目祈ったら3ヶ月で全部叶った。今100項目祈っている。
どんどん叶うから嬉しくてたまらないと毎日3時間、題目をあげている。
それを見て嬉しいからどんどん折伏ができる。その姪の変わった姿を見るとみんな友人が入信する。

去年の2月に「パリに行って美術館巡りをしたい」と祈っていたら、たまたま知り合った画家が「仕事を手伝ってくれるなら一緒に連れてってあげよう。」と、費用は全部向こう持ちで2ヶ月間ただでパリを回って帰ってきた。

何でも叶う。これが普通。

○○○○○○

心こそ大切とよく言われる。ただ頑張ればよいと言うのは間違っている。一念の因果だから。

○○○○○○

祈りは叶って当たり前。祈ってないから叶わない。

○○○○○○

信仰とは祈ること。頑張るための信仰をしてはいけない。婦人部は頑張っています。立派です。でも全然変わっていない。これからは「頑張ります!」と言ってやるのはやめましょう。

「頑張ります!」「頑張りましよう!」「でも変わりません!」
だから、信仰は頑張るためにやるのではない。

変わるためにやるもの。何が変わるのか?生活が変わり、生命が変わり、環境が変わる。変わるための信仰。
頑張ってれば変わるのではない。変わるために頑張るべきなんです。「頑張ります!」ではつまらない。

「変わりましょう!」「変わります!」「変わりました!」
これを『信心の三段活用』と言う。

○○○○○○

「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。必ずそうなる。「困った!御本尊!以上終わり!」 簡単です。これを『南無』と言う。
南無というのは、「生命を任せます!」と言うこと。「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。

○○○○○○

結構任せていない人が多い。「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」 と祈っている。だからそうなる。
願い通り。できないと決めたら御本尊不信。だめだと決めたら御本尊不信、自分の中の甘さも御本尊不信。
願ってお任せ。「お願いします!あとはよろしく。」これでよい。

○○○○○○

信仰は力一ナビの世界ではない。カーナビというのは道がないところへは行けない。
道がなかったら飛行機かヘリで行けばいい。道がなくても祈っていけばいい。簡単です。

○○○○○○

頭で考えても判らないから妙法と言う。無理を承知で祈るんです。だめだから祈る。方法がないから祈る。
方法がないから祈る。そうすると道が開ける。道はないのだから探さないこと。だから祈って道を作ればいい。

○○○○○○

御本尊に強く祈って必要な行動をすれば必ず結果がでる。決めて祈り、祈って動くこと。
意外とこれを決めないで頑張っている。婦人部が祈っているのは成果だけ。変わろうと思っていない。
だから、功徳が出ないから行き詰まってしまう。変わろうと決めて、祈って動けば結果がでる。信心は簡単です。

信仰というのは、無理だから祈る。方法がないから祈る。常識で不可能だから祈る。方法があれば祈る必要はない。やればいいんです。

○○○○○○

道がないから祈る。それが南無。そう御書に書いてある。
「湿れる木より火を出し、乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり」と。

「“湿った木を燃やしてみせる、砂漢から水を出してみせる”と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」とおっしゃっている「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。これを『半南無』と言う。
半信半疑は不信だから叶わない。「だめでしょうね。」と、その通りになる。

○○○○○○

「信心していれば何とかなる。」というのは迷信の一種。
何ともならない。祈った分しか結果は出ない。それが信仰だから。
活動家の皆さんは、みんな勤行・唱題し活勤をしているが、功徳を受けてどんどん変わる人と、全然変わらない人、悪くなる人がいる。
どこが違うのか?一念の姿勢が違う。

○○○○○○

では、これからどうすればいいのか?前向きに、強気に、過去のことは反省しないこと。反省してもどうせまたやるんだから。生命が変わらないとまたやるから。決意すればよい。

○○○○○○

これから良くなればいい。後ろ向き運転は事故の元。過去のことは振り返らないこと。良くなれぱいい。
過去のことが活きてくるから。振り返っても落ち込むだけ。いつも前向き、強気でいい。

○○○○○○

変えるために、功徳を受けるために頑張ればよい。そうすれぱどんどん変わる。
頑張るために頑張ってもだめ。しょうがなくて頑張ってはだめ。マイナスになってしまう。

○○○○○○

「良くしよう!!」と祈れば良くなる。それ以外は無駄。みんな勤行・唱題しているが、一念がきちんと御本尊に向いているかどうか。それが、祈っているかどうかということ。
「絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて祈っていること」を『祈る』と言う。
祈るから叶う。

○○○○○○

100万遍あげても不信なら功徳はゼロ。

○○○○○○

「だめだろうなぁ」と思って祈っている『不信の唱題』は一念が御本尊に向いていない。
祈ってないから叶わない。唱題ではなく祈りが大事。

○○○○○○

先生は「疑いや形式であれば、たとえ100万遍あげても境涯が開けるものではない。自分自身の発心で、目標を決めて唱題すれば必ず開けるのである。義務的・形式的な勤行・唱題、それは惰性のあらわれであり、空転を生むだけである。きちんと一念を定めて祈らなければだめだよ。」と言われている。

○○○○○○

祈った上で努力して道を作ればいい。それが信仰。

○○○○○○

去年の暮れに洗濯機が壊れた。そこで御本尊に「洗濯機が壊れたから新しいのが欲しい。できれぱピンクのが欲しい。」と祈った。

1時間ほど唱題したら近所のB担さんが来た。雑談の中で洗濯機の話をしたら「じゃああげようか。」と言う。
相手はマンションの管理人。最近は若い人が引っ越すときに面倒くさいので置いていってしまうらしく、「たくさんあるからいらっしゃいよ。」と言われて倉庫に行ってみたら、新品同様のピンクの洗灌機があった。
1時間で叶ってしまった。何でも叶う。

「白い良い猫が欲しい!」と祈ったら、白い猫が迷い込んできて、飼い主もわからず居着いてしまった。
このあいだその猫が歳で死んでしまった。
「同じ猫が欲しい!!と祈った。ペット屋さんに見に行くと15万円した。
「2万円でください!」と祈った。

そしてインターネットを見ていたら「猫あげます」と出ていた。
電話をかけたら同じ種類の猫だった。「赤ちゃんができて飼えなくなったからあげます。」とのこと。
そして横浜から東京まで連れて来てくれた。そこでお礼に2万円あげた。願い通り、2万円で手に入れてしまった。
何でも叶う。これが普通。

○○○○○○

功徳の出るのは当たり前。出ないのがおかしい。これを『信心の正常化』という。祈りは叶う。
祈ってないから叶わないだけ。信ずるとは疑わないこと。

○○○○○○

どうしたら疑わないか?自分が体験したことは疑わないから信じる。この体験は活動体験ではなく功徳の体験。
活動体験ではだめ。活動体験ばかりいっぱいあっても、功徳を受けなけれぱ不信になる。今は活動体験止まりが多い。
かえって不信になる。功徳の体験が出れば信が深まって「もっと頑張ろう!」となる。

○○○○○○

同じように大きな体験をすれば、信が深まる。体験がない信仰は観念だから何かあったら疑ってしまう。体験があれば何があっても疑わない。
小さな体験でもたくさんすれぱ同じ。信が深まる。

○○○○○○

決意して祈らせれば体験ができるから信が深まって、放っておいても大丈夫。「やらなきゃダメ!」と言ってはいけない。やらされた信仰は信仰ではないから功徳はない。
先生は、「勤行を強制すると信心嫌いになるよ。信心の好きな子、学会が好きな人を育てよう。」と言われた。
結構押しつけている場合が多い。そして嫌われている。自分で決意しなければ信心ではない。

○○○○○○

決意から入れば信心、形から入れば情性。決意してやらせれぱ功徳がある。無理矢理やらせたら功徳はない。

○○○○○○

どうしたら体験できるかといえば、具体的に祈って動くこと。そうすれば必ず体験ができるから信が深まって「もっと頑張ろう!」となる。
人材育成・新入会員をどう育てるか?功徳を受けさせること。喜んで活動家になる。
活動を押しつけたら潰れてしまう。信心を教えて功徳を受けさせること。

○○○○○○

今、あまり功徳を受けていませんね。体験発表というと新入会員ばかり。
古い会員はこんなに頑張っているのに体験がないから。

○○○○○○

信心が惰性、活動が義務になっている。一念が間違っている。

○○○○○○

一念さえ変えればよい。
自分のために信仰すること。変わるために信仰すること。

○○○○○○

功徳を受けるために頑張ればよい。そうすれば正しい。
先生は、「信心は義務じゃないよ。幸せになる権利だよ。自分が決意して自分が動いた分だけ自分が得するんだよ。」
と言われている。自分のためだから喜んで頑張れば功徳がある。

○○○○○○

幹部にほめられても、御本尊にほめられなければだめ。

今は幹部公認・御本尊非公認になっている。功徳がないということは御本尊に通じてないということ。
これではつまらない。御本尊に認めてもらうのが信心。

○○○○○○

信心で変わろうと思い続ければグングン変わるのが信仰。そのための信仰。いつか変わるのではない。
頑張っていればよいと思って功徳を受けることを忘れていませんか?それではつまらない。

○○○○○○

うんと欲張って、何を願っても良いんです。人の不幸は祈ってはいけませんが、それ以外は何を祈ってもよい。
あれもこれも願いを叶えて、その歓びを分けてあげましょう。それが広宣流布。功徳が無くて人に言えますか?
それは詐欺。仏法を語るのではなくて、信仰の歓びを語ること。歓びが伝わる。

○○○○○○

御書に、「喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり(P.334)」とある。
嬉しくてしようがないからつい「仏法はすごいよ」と言ってしまう。これが本当の折伏。功徳をうんと受けましょう。
小遣いがないのに人におごってあげられない。功徳をうんと受けて分けてあげましょう。けちはだめ。
大阪の人は、けちではないはずなのに、最近随分けちになりましたね。功徳を受けることを忘れている。
それでよく頑張りますね。功徳を受けるために頑張るべき。
先生が「皆さんの健康・長寿・幸福・裕福を祈ってますよ。」といつもおっしゃる。
健康・裕福になることが先生に応えること。
「こんなに幸せになりました。そしてみんなを幸せにしました。」と報告すれば、先生はうんと喜んでくれる。

○○○○○○

信心していれば何とかなる、というのは最高の迷信。
祈った分しか叶わない。御本尊が決めるのではなく自分が決める。
だから「心こそ大切なれ」である。

○○○○○○

どういう心で頑張るかである。仏法に形はない。
どうやって説明するのか?自分が体験をして、生活・生命が変わった実証で相手に納得させるしかない。
それが私たちの使命。

○○○○○○

湧出品に「地湧の菩薩というのは如蓮華在水」とある。蓮の花は泥沼で咲く。
泥沼が深いほど大きな花が咲く。娑婆世界は泥沼。
その中で功徳の花を咲かせ、幸せの花を咲かせ、生命の花を咲かせ、その実証で人を救うのが地湧の菩薩。
だから功徳を受けて、証明をしなければならない。

今は花がしおれている。これでは蜂も来ない。うんと花を咲かせましよう。
そしてみんなに花を咲かしてあげましょう。それが広宣流布。

○○○○○○

広宣流布とは不幸の追放運動・幸せの拡大運動。「悲惨の2字を無くそう!」と戸田先生が言われた。

不幸を無くして幸せを広げるのが広宣流布。

○○○○○○

幹部は成果の責任者ではない。
今は責任者それも下請け・成果の現場監督になっている。それではつまらない。
幹部はその地域の幸せの責任者。

「我が地域のみんなを幸せにしよう!」と祈ればそれだけで福運がつく。

○○○○○○

成果が目標になっているから重荷で苦しくなる。

○○○○○○

幹部はやらせる信心をしているから功徳がない。信心はみんなで頑張るものではない。「1人立て!」です。
「私、頑張ります!」という人に功徳がある。
そういう人がたくさん生まれれば、たくさん成果が出て功徳をいっぱい受ける。

○○○○○○

私たちはいろいろな活動をしている。みんなを味方にする運動。みんなを折伏する運動ではない。

みんなに学会・仏法を理解させていく運動。誰でも彼でも折伏する必要はない。誰でも彼でも味方にするのは構わない。
ここを間違えないこと。今悩みがない人・悩みがあっても悩んでない人を折伏すると嫌われる。
結構そういう人を押し込んで折伏して嫌われていませんか?

友達を無くしている。健康な人に薬を飲めと勧めても嫌われる。
「いい薬があるから、病気になったら飲みなさい。」と教えておくのは構わない。そこで止めておけぱよい。
そこを押し込んでいる。悩んでいる人・不幸な人がいたら救ってあげること。

それは相手を救ってあげるためであり、成果のためではない。折伏は簡単。
ただ1つのコツは、「不幸な人を救わせて下さい」と祈ること。
そういう人がいれば、その人のことを祈ること。いなくても祈ればチャンスは来る。

法華経の法師品に「素直に法を聞かせにやるよ」と2ヶ所も書いてある。これが方程式。
強く祈れば必ずそういう人にぶつかる。折伏は簡単です。誰でもできる。成果のためにやらないこと。

成果はこっちの都合。相手のためにやること。「不幸な人を救って功徳を受けさせて下さい」と祈ること。
不幸な人を救うから功徳がある。宿命転換できる。福運がつく。成果をあげるからではない。

苦し紛れの分世帯では功徳はない。功徳がないのでつまらない。後には不信が残る。

○○○○○○

体験がないから相手が魅力を感じない。同じ悩みの体験が一番説得カある。確信を持って言い切ること。
折伏には教学はいらない。相手の悩みが分かれば誰でも折伏できる。


[PR]

by taicyan0402e | 2017-01-18 10:19 | 教義的 | Comments(0)
<< 「教祖さま」の教えじゃ!(笑) マイナンバー不正利用で被害 >>