フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

<徐々に最優良ブログの紹介をしていきます>
21世紀の日蓮仏法
kaede-midoriのブログ
英語で創価
創価学会男子部・ゴチえもん BLOG
広布の大河に君ありて
内得信仰の日々のブログです(歓喜の中の大歓喜編2018.10.21~)
by 太ちゃん
メモ帳
検索
最新の記事
最新のコメント
あ!そうだった 太ちゃん..
by eco◆Smw69 at 10:23
一口に中国で片付けると言..
by eco◆Smw69 at 11:00
あべひは寿命が来るまであ..
by taicyan0402e at 18:01
そっか、今はテレビがデジ..
by eco◆Smw69 at 07:47
5chですか。 最近は..
by taicyan0402e at 20:12
もっとも、上記2件の内容..
by eco◆Smw69 at 20:38
カテゴリ
以前の記事
記事ランキング
外部リンク

立正安国論の指導原理について ~1~

【立正安国論の指導原理について】宿坊の掲示板より
投稿者:大仏のグリグリのとこ

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16846
創価学会の平和運動の基盤は、日蓮大聖人の立正安国論の精神にあり、
正法を根底において、世界の平和の繁栄を確立しようとするものです。

大聖人は、法体の広宣流布を確立されるとともに、未来における
化儀の広宣流布の時代のために、あらゆる指導原理を残されました。

日蓮仏法は、一宗一派の独占物ではなく人類の至宝ともいうべき共有財産です。
なかでも立正安国論は、日蓮仏法の最高峰にそびえ立つ「平和の思想書」とも言えるでしょう。

そこには、戦争回避・災害防止・恒久平和などの原理が、
仏典を文証として、縦横無尽に描かれています。

近年の世界各地で多発している自然災害や経済危機、そこからくる民衆の苦悩、
また、テロの脅威という現実を前にした今こそ、指導的立場の人々が、
その解決策を立正安国論に求め、真摯に学んでいくべきではないでしょうか。

過去には日蓮系の弟子たちが、その生きた時代に合わせて、
大聖人の思想を整理し論釈してきました。

そして、その人師たちの論釈を最大限に活かし、
その法理を世界の人びとに理解させるため、人間主義の思想として論じ、
社会に展開し、具現化してきたのが創価三代の師匠です。

池田先生は『小説 新人間革命(広宣譜)』の中で
「仏法の法理を、『生命論』や『生命哲学』として論じていくことで、
広く人びとが仏法を理解する素地をつくることができる。

仏法の展開のためには、時代に対応しながら、さまざまな現代の哲学、科学の成果を踏まえ、
わかりやすく論じていくことが不可欠だ。

仏法を、いかに時代に即して展開していくか――それは、広宣流布を推進するうえで、最重要のテーマといえよう。
その責任を放棄し、努力を怠れば、広宣流布の道は閉ざされてしまうことになる。

だからこそ、学会では、そこに最大の力を注いできたのだ。
その着実な努力があったからこそ、世界の指導者、識者も、日蓮仏法に刮目し、
共感を寄せ、世界宗教へと発展してきたのである」(聖教新聞 平成二十六年十一月二十七日付)と述べられています。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16847
世界の知性は、創価三代の思想に共鳴し、池田先生の思想を求めています。

世界広布新時代を迎えた今、
池田思想はもはや学会だけの独占物ではなく、
人類の共有財産であり、世界の至宝だと思います。

近年の「阪神・淡路大震災」から始まるここ二十年間の様々な自然災害(東日本大震災の津波等)。

とくに今年(平成二十六年)だけを見ても
「火山の噴火、台風(暴風雨)、水害、地震、土砂崩れ」などによる甚大な被害がありました。

また、経済の低迷と対立による民衆の活力の低下と、
社会モラルの荒廃によるいじめと自殺の増加。

この現実を目前にして
「これはいかなる過失から生じたものであり、いかなる誤りによるのか」と、
問うべき「時」が再び到来したのではないでしょうか。

今まで私たち会員は、立正安国論を研鑽する際、
どちらかというと「主人」側に立って研鑽し、その自覚に立って戦ってきたと思います。

だからこそ、
創価学会は世界百九十二ヶ国地域にまで発展し、
日本全土において学会の会館が建ち並び、
人口の十人に一人が会員という未曾有の拡大と発展を遂げて来たわけです。

また、日蓮正宗との二十数年にわたる闘争を経て、
今や大石寺も「七百年の歴史と伝統」だけが売り物の、
建長寺や円覚寺となんら変わらない一寺院に封じ込めました。

もはや世界をリードする宗教にはなり得ないでしょう。

また、大聖人が生きた時代は、
念仏宗が隆盛を極め、多くの人々が念仏を唱えていました。

それから七百年の時がすぎ、創価学会が誕生して、今や日本はもとより、
世界に多くの会員が誕生し、途切れることなく世界中で題目が唱えられています。

であるにも関わらず、
どうして今も自然が猛威を奮い、経済の低迷と対立に、民衆が悲しみ苦しむのでしょうか。

その原因究明と問題解決を求めて、立正安国論を研鑽していきたいと思います。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16848
その前に確認しておきたいことは、
牧口先生は「行き詰まったら原点に返れ」との指導を残されました。

また、明治の思想家である内村鑑三氏も
「経済の背後に政治あり、政治の背後に社会あり、社会の背後に道徳あり、
道徳の背後に宗教あり。宗教は始めにして経済は終わりなり」
(「内村鑑三所感集」岩波文庫)と述べています。

創価学会の運動理念は「立正安国論に始まり、立正安国論に終る」です。
御書には「仏弟子等必ず仏法を破るべし」との戒めがあります。

これは、例外なく創価学会にも当てはまる最重要の教訓です。

創価三代の師匠と共に、無名の庶民が心血を注いで築いた世界最大の創価学会。

この偉大な学会から「師子身中の虫」を絶対に出さないために、
私たち会員も、原点を見つめ直し、謙虚な心で「主人・客」の対話を通し、
一度、客側に立って「主人」の話に耳を傾けたいと思います。

そうすることによって、何が見えてくるか、それを皆様とともに考えていきたいと思います。

立正安国論には、
「観れば、夫れ二離・璧を合せ、五緯・珠を連ぬ。
三宝も世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰え、其の法何ぞ廃れたる。
是れ何なる禍に依り、是れ何なる誤りに由るや」(一七頁)

――よくよく考えてみれば、太陽も月も星も、なんの変化もなくきちんと運行し、
仏法僧の三宝も世の中に厳然とある。(八幡大菩薩)も百代の王を守護すると誓ったというのに、
いまだ百代にならないが、この世は早くも衰えてしまい、王法はどうして廃れてしまったのか。
これはいかなる過失から生じたものであり、いかなる誤りによるのでしょうか――とあります。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16849
この文は「民衆の苦悩の根本原因は何か」ということを、
徹底的に探究していく姿勢こそ、真の指導者のあるべき姿であり、
日蓮門下の使命ではないか、という大聖人の叫びとも取れる言葉です。

立正安国の原理には二つの側面があり、一つは、立正がなければ安国の実現はない。
立正を根本として戦いを進めていくなかに、安国の実現がある、ということです。

もう一つは、安国のなかに立正を確立していく。
つまり、現実の社会を生命尊厳の社会に変革していく戦いのなかに、立正が輝いてくる、という二つです。

ここでいう「社会の変革」とは、突き詰めていえば「民衆の変革」のことだと思います。
安国の「国」とは、安国論を読めば明確ですが、国家中心の国ではなく、
人間中心の国であり、民衆が中心の社会ということがわかります。

さらに「国」を国土という面と、社会という面に立て分けて考えていけば、
社会といった場合は、その本体は何かといえば、民衆なのです。

もちろん、国家の機構・体制ということもありますが、その主体はあくまでも民衆です。

しかし、今の社会やあらゆる組織体制というのは、
あまりにも機構・体制に偏っていて民衆不在になっています。

これを民衆という原点に戻さなければ、民衆が組織機構の奴隷になりかねません。
なぜなら、「安国」の精神や元意も、民衆を安んずるというところにあるからです。

また、国土という面からも、安国論が「自然と人間」という
視点から説かれている、ということを忘れてはならないと思います。

これは自然と人間の関係性のうえから、いかにして災害を根絶し、
平和楽土を創造していくべきかという原理を示しています。

大聖人は、三災七難が起こる真っ只中で、
民衆の苦悩をわが苦悩とし、立正安国論を著されました。

創価三代の師匠も、世界的な三災七難が起こる中で、
安国論を旗印に、立正安国の運動を展開してきました。

立正安国論は、過去の書物ではなく、
厳然と、今も現代社会の実像を映し出す明鏡であり、未来を開くカギなのです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16850
一九六〇年(昭和三十五年)五月三日――。
第二十二回春期本部総会を兼ねた『第三代会長就任式』で、
池田先生は、
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、
化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらせていただきます」と挨拶しました。

法体の広宣流布は、日蓮大聖人お一人の戦いが中心でしたが、
化儀の広宣流布は、大聖人のご遺命のままに、
その使命に目覚めた無数の民衆の手によって、実現されていくものです。
なぜなら、主権は民衆の側にあるからです。

現実の社会に「人類の幸福と世界の恒久平和(広宣流布)」を実現する行動こそ、
大聖人の志向された仏法実践の精神があります。

創価学会が、その社会的意義を
「平和を守り、人間文化の興隆にある」と定義し、
信頼と相互の尊厳を基調として、その実現を目指して行動しているのも、
立正安国の哲理と精神を社会に具現化していくためです。

一人の人間に「人間革命」を促し、社会を浄化し、
正しい社会観と人間観を持った人びとが協力し合い、励まし合う姿を築くのも、
また、宇宙のリズムを正し、国土に恵みと潤いをもたらすのも、私たち会員の使命と責任だと思います。

またそれが、師匠の厳命でもあります。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16851
立正安国論の冒頭で、客は社会や民衆の悲惨な様相を嘆き、
「是れ何なる禍に依り、是れ何なる誤りに由るや」(一七頁)と主人に問います。

この客の最初の問いは、指導者一人だけの問いではなく、全民衆が感じている問いでもありました。

そこで主人は、「神天上の法門」を示します。

客からすれば、意外にもその答えは、「万民が正法に背き」、
「善人・聖人(良識・道理)」が
「国を捨て去って(良識・道理が通らない世の中になって)」、
その代わりに、
「魔王・悪鬼(力の論理・悪思想)」が世の中に幅を利かせてのさばり、
「国中に災難が起こる」というのです。

この答えは、仏法を知らない客や仏法を習い始めたばかりの会員にとっては驚きだったと思います。
そしてそれは、現代においてもなかなか理解されない原理だと思うのです。

客が「それはどこの経文に書いてあるのか、その証拠と根拠を聞きたい」というのも当然です。

しかしこの哲理は、厳しき一念三千の生命哲学による社会観であり、
宇宙観であり、日蓮大聖人の大確信であり、絶対の真理であると思います。
その大確信なくして、あれだけの大難を乗り越えることなど不可能だったと思います。

また「客」が主人の意外な答えを聞いて、謙虚にその理由を聞こうとする姿勢は、
人間として、指導者として、また対話をしようとする人のあるべき真の姿です。

偉大な人、心ある人であれば、未知の世界にはたえず謙虚であるべきです。
そこに会員である、ない、は関係ありません。
でなければ、相互理解の対話などできるはずがありません。

ましてや、人類が「恒久平和か、滅亡か」の岐路に立たされているときに、
新たな方途を見いだそうと努力するのが、為政者や、指導的立場の人の当然の姿です。

これが、王道か覇道か、人間主義か権威主義かの試金石ではないでしょうか。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16852
災難が起こる根拠と証拠を問われた主人は、その文証として、
金光明経、大集経、仁王経、薬師経の四経の文を引いて説明します。

しかし、この四経は法華経以前に説かれた、いわゆる「爾前経」です。
大聖人は、諸御書のなかで無量義経や方便品を引用しながら、この爾前経を徹底的に破折しています。

しかしなぜ、爾前経を破折しておきながら、爾前の経々を文証として引用されたのでしょうか。

これについては「観心本尊得意抄」にこうあります。
「一北方の能化難じて云く、爾前の経をば『未顕真実』と捨て、乍ら安国論には爾前の経を引き文証とする事、自語相違と不審の事、前前申せし如し。総じて一代聖教を大に分つて二と為す。一には大綱。二には網目なり。・・・・・法華の為の網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆ可きなり。其の上、法華経にて実義有る可きを、爾前の経にして名字計りののしる事全く法華の為なり。然る間、尤も法華の証文となるべし」(九七二頁)。

※長いので間を抜きました。

つまり、その意味は
「成仏得道の経は、法華経にかぎるが、それ以外のことについては、その他の経文に明かされている。
成仏の本体を法華経なりとすれば、一切の経々はすべて活かされてくる」ということです。

法華経以外の経典はすべて、切り捨てるのではなく、
人類に有益なことは、内外(内典・外典)問わず、すべて活かしていこうとするのが、
大聖人の思考であり、大乗仏教の精神です。

池田先生が世界の「知性の言葉」を引用し、仏法哲学を表現しているのもそのためです。

つまり、宗派を超えて、人間という原点に立ち返り、世界の知性を結集して、
現実社会に仏法を展開していこうとする挑戦です。

これが価値を創造する「創価学」思想の根本だと思います。

池田先生は
「華厳経それ自体としては、四十余年未顕真実の教えであり
『死の法門』であるが、ひとたび、法華経の立場で用いれば、十界互具、一念三千の
説明として生かされ『活の法門』となる」(池田大作全集二十五巻)と述べられている通りです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16853
では、文証として引かれた「金光明経」から見ていきましょう。

「一切の人衆、皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有つて、互に相讒諂し、枉げて辜無きに及ばん」(一八頁)

――すべての人たちは、皆ことごとく善心がなく、ただ縛り合い、殺害し合い、
争い合って互いに相手を讒言し、罪のないものを無理やりに法をまげて罪に陥れる――。

これは、民衆に善心というものがなく、
皆、利己主義になって他人のことなど考える余裕すらなく、
畜生界の如く上司に媚びへつらう集団のような生活が民衆のなかに起こる。

罪人は多くなって、これを縛るのに忙しく、
ちまたにはリンチ・いじめがあり、残忍な殺害があり、
怒りと怒りがぶつかり合って修羅道となり、互いにへつらい合い、
罪なき人を罪に陥れるようになる――という、まさに暗黒と悲惨と恐怖の世界です。

そして、「伝染病が流行し、地震が起き、大雨や暴風があって農作物が実らず、民衆は苦悩を受ける」(同頁)というのです。

次に「大集経」の文中で、
「衆生及び寿命・色力・威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆、悉く悪道に堕せん」(一九頁)

――衆生の寿命も減じ、体力も威光も楽しみも減少し、
生活が脅かされ、皆ことごとく不幸に堕ちてしまう――

とありますが、
これは人口が減少し、寿命が減じ、生命力が弱まり、その肉体も衰え、
楽しみも希望も勇気もなく、健全な生活は失われ、例えば、うつ病のような神経を病む人ばかりになる。
やがて三悪道に堕ち入り、長くそこから抜けきれず、闇から闇へと流浪していくということです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16854
また、
「是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、
諸天善神王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向わん」(同頁)

――このような不善業の悪王や悪比丘がわが正法を破り、天界、人界の道を滅し、
諸天善神の梵天、帝釈、四天王などの衆生を哀れむべき善王も、
この濁悪の国を捨てて皆ことごとく他方へ向かうであろう――とあります。

「不善業の悪王・悪比丘」とは、政治的指導者であり、宗教的指導者です。

現代でいえば、民衆の生活にもっとも影響力のある政権与党の政治家であり、
多くの人々に影響を与える教団首脳陣と捉えることもできます。

それらが、私利私欲にふけり、派閥抗争に明け暮れ、不正を事とし、
陰険で善人を迫害しようとする姿を見るにつけ、民衆は疲弊し苦悩する。
それは今も歴然としています。

しかし、このような指導者を誕生させたのは、いったい何が原因か。
そこに黒々とした民衆の生命の濁りを見いだすことができるのです。

これこそが、人間を奴隷化と向かわす低級宗教であり、悪思想の害毒です。

人間性を無視し、官僚主義に陥った宗教が横行し出すと、
人々は無気力となり、退廃と狂気の温床となります。

無気力な民衆を食いちらす狂気のごとき邪宗、邪義、邪智・・・、
そこから生まれる指導者、この三拍子がそろえば、まさに地獄です。

「不善業の悪王(政治家)」は「不善業の悪比丘(宗教指導者)」とともに、
民衆の幸福を説いた思想を隠し、道理は通らなくなり、
すべてがパワーゲームで物事が動いていくのです。

そして、魔来り、鬼来り、災起こり、ついに国が滅びていくという事です。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16855
次は「仁王経」です。そこには、
「国土乱れん時は、先ず、鬼神乱る、鬼神乱るるが故に、万民乱る」(一九頁)

――国土が乱れるときは、まず鬼神が乱れる。鬼神が乱れて万民を悩ます――とあります。

この「鬼神」ということですが、大聖人は、鬼神には二つあると言っています。
それは「善鬼と悪鬼」(一二四六頁)があって、「善鬼」は御本尊を持つものを守るが、
「悪鬼」は個人に対して功徳を奪う働きをすると述べています。

「魔」が生命内在のものであるのに対して、
「鬼」は自然界や社会から生ずる働きともいえるでしょう。
たとえば、社会全体をおおっている悪思想も「鬼神」といえます。

「鬼神乱れる」様相とは何なのか。
政治の世界であれ、経済の世界であれ、教育の世界であれ、宗教の世界であれ、
あらゆる分野で行き詰まり、これほどだめにしたのは、いったい誰の一念だったのでしょうか――。

ある人は、私利私欲と派閥争いに明け暮れ、
ある人は、学問の権威の座に坐して民衆を軽蔑し、
ある人は、経済的利益のみを追い求めて公害を撒き散らし、諸外国のひんしゅくをかい、
ある人は、評論家と名乗りもっともらしい言葉で自己を飾り、
ある人は、エリートという気位に立って弱き庶民をいじめ抜く――。

つまり、あらゆる分野の指導者たちが、法や道理・秩序などを中心とせず、
会員であれば、御書や池田先生の指導を中心としないところに組織の衰退と会員の苦悩があるということです。

今なすべき緊急の課題は、生命力の減退している民衆に、
力強い生命力を与え、社会に活力を与えるために、あらゆる分野の指導者の一念を正すことなのです。

それは単なる反省とか意識変革などで変わるものではありません。
思想を支配するものが生命の働きである以上、より根源的なもの――。
結論から言えば、仏法の真髄である日蓮大聖人の教え(実乗の一善)による以外にないのです。

――貴方の会社の先輩や後輩はどうですか。貴方自身はどうですか。
貴方の組織の先輩や後輩はどうですか。貴方自身はどうですか――。

問われているのは、社会や教団ではなく、自分自身です。貴方自身です。
自分自身が社会の平和のために、友のために何をしたかです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/16856
また「仁王経」の文では、
自然災害や社会の荒廃が起こるには、順序があり、タイムラグがあると説いています。

まず一番目に起こるのは、指導者の思想から乱れていく。
二番目は、乱れた思想をもつ指導者が立つと、その社会機構が力の論理に支配される。
三番目は、力の論理に支配されるがゆえに民衆が乱れ、自然災害が起こる。

これが、国が滅んで行く順序です。
指導者が狂い始めた直後は、民衆はまだ何が起こっているのかわからない。
民衆が気付くのは、実際に自分の職場が倒産したり、自分の所属する機構の荒廃を目の当たりにしたときです。

しかし、そのときにはもう自然環境が猛威を奮っていることでしょう。
そうなってはもう遅い。

だからこそ、その最悪の事態を避けるために、大聖人は立正安国論を著し、諌暁したのです。
しかし、先陣を切って戦う聖人・賢人は、迫害に合うことは避けられず、これも経文通りなのです。

最後に「薬師経」です。
「若し刹帝利・潅頂王等の災難起らん時、所謂、人衆疾疫の難、他国侵逼の難、自界叛逆の難、星宿変怪の難、日月薄蝕の難、非時風雨の難、過時不雨の難あらん」(一九頁)

――もし、刹帝利・潅頂王のいわゆる支配者階級のものに災難が起こるときには、
次のような七つの難がある。すなわち、
民衆が伝染病等の流行に悩まされる難、
他国から侵略される難、
自国内で反逆、同士討ちが起こる難、
星宿の変怪する難、
太陽や月が日蝕、月蝕など薄蝕する難、
時期はずれのときに暴風雨のある難、
時を過ぎても降るべき時節に雨の降らない難、
以上の七つの難である――とあります。

ここは、指導者の責任と使命がいかに重大かということが説かれているところです。

次へ

[PR]

by taicyan0402e | 2016-10-01 13:49 | 宿坊の掲示板より(教義的) | Comments(0)
<< こういう記事を「人を馬鹿にして... まぁよろしいのでは? >>