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フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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なんの兵法より法華経の兵法を

かつてのちよさん、ブログ村でかなり長いことずっとランキングトップでいた。
あの当時は「初心の功徳」の期間だったんじゃないかと。
その当時の記事やコメント欄はみんな向上心で溢れていた。
コメント欄はチャット状態なほどに大盛況であった。
当時、ちよさんは勤行・唱題で希望に溢れた幸福感でブログをやってた様子が垣間見える。
「希望に溢れた幸福感」というのは、人は「福運」を感じるんじゃないか、そのように感じますね。
いわば「福運を感じさせるブログ」であったから大盛況だったと僕は感じてます。

僕もかなりいろいろと言ってきたけど。
ちよさんは真面目に取り組んでるからむしろ起きてることと感じてます。

こういう記事はどうやら「見る人」にとっては難しいようで、ここしばらくは遠慮して社会的ニュースばかりを中心に記事にしてきたけど。

僕自身の体験からだけど。
「初心の功徳」からしばらくすると、再び宿業が濃くなるもんです。

そのメカニズムを僕はこう見てる。
勤行や唱題はまさしく「蘇生の儀なり」で、方便を知らないままいきなり心境だけが「仏」になってる、そう感じます。
信仰する前にできあがった九界を、蘇生させた「仏界」を中心に置くことで「初心の功徳」が起きるのでしょう。
しかし、釈迦時代みたく修行の下積みでもって「仏」になってるわけでないから、修行の下積みの経験不足が「三障四魔」「三類の強敵」「十四誹謗」などで、自分に現れる宿命なんじゃないかと。

いわば釈迦時代では修行の下積みの後に一念が「仏」となるのが、日蓮仏法では逆の手順で、一念をいきなり「仏」にした上で、仏を維持する具体面の修行なんじゃないかと。

仏を維持する修行――いきなり仏と同じ心境でもって「仏の方便」を学んでいく修行
それが日蓮仏法と感じてます。

それは日常生活で「仏の状態」を成立させるための具体面を試行錯誤で学んでる状態でしょう。
戸田先生曰く『人は信じてるもので考える』という言葉からもそのように推察できるんです。
そして、功徳の結果として「体験談」が数多く生まれたんですね。

さて、ちよさんはなぜこれだけ言われることになっているのでしょう?
『向上心を失ってるから』とみてます。
河合師範曰く『惰性の信心』といってもいいでしょうか。
当ブログよりリンクしてる『21世紀の日蓮仏法』さんの記事よりちょっと引用しましょう。

http://nitiren21.blog.shinobi.jp/%E8%B3%87%E6%96%99/%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%B8%AB%E7%AF%84%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%20%E3%80%80%E5%B9%B3%E6%88%9010%E5%B9%B46%E6%9C%882%E6%97%A5%E5%AF%9D%E5%B1%8B%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BC%9A%E9%A4%A8
【河合師範の指導  平成10年6月2日寝屋川文化会館】

●●●●●●
今日は難しい話ではなく、功徳を受けない信心のコツの話をしに来た。

この間、悲惨な話を間いた。ある婦人部が家庭の問題で悩んで1000万遍をあげたが、解決しなかったので落ち込んで寝込んだというのです。先輩が心配していって見たら、「こんなに拝んでも良くならない。御本尊の馬鹿!」と拝んでいたそうです。形は信心強盛でも心が不信だから解決しなかった。
「あなたは不信ですよ。」

「いや、私は信心強盛です。」「でも不信じゃない」「じゃあどうすればいいの?」「いつまでにどう解決したいですか?そう決めて祈ってご覧なさい。」と言われて、そう決めて祈ったら2週間で解決したそうです。

唱題ではなく祈りが大事。婦人部はよく唱題されます。立派です。唱題会も良いが、自分と御本尊は1対1だから、
きちんと祈れば叶う。唱題のための唱題では何も叶わない。10時間唱題会なんてやらないほうがいい。あれは拷問の一種だから。

個人がやるのは何時間やっても良い。自分が決意して祈るのは良いが、みんなを縛っちゃいけない。これは先生の指導。リレー唱題会も割り当てでやっていますが、あの功徳はどこへ行くんでしょうか?また、
100万遍あげて落ち込んでる人が婦人部にはよくいます。

信仰とは祈ること。頑張るための信仰をしてはいけない。婦人部は頑張っています。立派です。でも全然変わっていない。これからは「頑張ります!」と言ってやるのはやめましょう。
「頑張ります!」「頑張りましよう!」「でも変わりません!」だから、信仰は頑張るためにやるのではない。

変わるためにやるもの。何が変わるのか?生活が変わり、生命が変わり、環境が変わる。変わるための信仰。
頑張ってれば変わるのではない。変わるために頑張るべきなんです。「頑張ります!」ではつまらない。
「変わりましょう!」
「変わります!」「変わりました!」これを『信心の三段活用』と言う。こう言っても、
皆さんは帰りに「頑張ります!」と言って帰るでしょう。なかなか身についた習性は抜けない。

信仰というのは、行動の因果ではない。ただ頑張ればいいのではなく、一念の因果、どういう一念で頑張るか、
その一念に功徳がある。頑張っても結果のでないのは一念が間違っているから。行為は正しい。
一念が間違っていれば空回りになったり、功徳がなかったり、マイナスになることもあり得る。

心こそ大切とよく言われる。ただ頑張ればよいと言うのは間違っている。一念の因果だから。
一念を定めて頑張ることです。生活の方程式は、行き先を決めて、予定を立てて、行動するから、目的地に到着する。
行き先、予定を決めないで、何となく、ぐるっと回って帰ってくるのは散歩。何となく信心している人はお散歩信心。
気分転換程度、やらないよりはまし。でも変わらない。

東京都内は規制があって、昼間は大型トラックは通り抜けできない。
夜中に時速120~130キロで高速道路をぶっ飛ばして行く。土曜日の夜は暴走族も飛ばしているが、これは違う。
大型トラックは行き先・予定があるから飛ばしている。暴走族は行き先・予定もなく飛ばしているだけ。信心も同じ。
「頑張ります!」と言って頑張っている人の車を『宿命の暴走族』と言う。婦人部はほとんど暴走族。

○○○○○○

御本尊に強く祈って必要な行動をすれば必ず結果がでる。決めて祈り、祈って動くこと。
意外とこれを決めないで頑張っている。婦人部が祈っているのは成果だけ。変わろうと思っていない。
だから、功徳が出ないから行き詰まってしまう。変わろうと決めて、祈って動けば結果がでる。信心は簡単です。

どうしたらいいかと祈っている人がいるが、全く意味がない。交番へ行って「どこへ行けばいいのでしょうか?」
と聞いているようなもの。答えがない。御本尊が何か決めるのではない。自分が決めて祈るからそうなる。
「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。必ずそうなる。「困った!御本尊!以上終わり!」
簡単です。これを『南無』と言う。南無というのは、「生命を任せます!」と言うこと。「お願いします。
あとはよろしく!」これで良い。

でも結構任せていない人が多い。「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」
と祈っている。だからそうなる。願い通り。できないと決めたら御本尊不信。だめだと決めたら御本尊不信、
自分の中の甘さも御本尊不信。願ってお任せ。「お願いします!あとはよろしく。」これでよい。

信仰というのは、無理だから祈る。方法がないから祈る。常識で不可能だから祈る。方法があれば祈る必要はない。
やればいいんです。道がないから祈る。それが南無。そう御書に書いてある。
「湿れる木より火を出し、乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり」と。

「“湿った木を燃やしてみせる、砂漢から水を出してみせる”と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」
とおっしゃっている「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。これを『半南無』と言う。
半信半疑は不信だから叶わない。「だめでしょうね。」と、その通りになる。
●●●●●●

出してみましたが、ちよさんはこの通りではないでしょうか。
「同盟題目」にしても河合師範の話の趣旨になってるように見受けます。

いわば、ちよさんは方法論に頼るばかりで冥益を得ようとしてないことからこうなってると感じます。
これまでちよさんへの指摘を聞いたりするものの本質はそういう内容でしたから。
河合師範じゃないけど『婦人部が祈っているのは成果だけ。変わろうと思っていない。
だから、功徳が出ないから行き詰まってしまう。変わろうと決めて、祈って動けば結果がでる。信心は簡単です。』の通りです。

それで、河合師範は

『「頑張ります!」「頑張りましよう!」「でも変わりません!」だから、信仰は頑張るためにやるのではない。
変わるためにやるもの。何が変わるのか?生活が変わり、生命が変わり、環境が変わる。変わるための信仰。
頑張ってれば変わるのではない。変わるために頑張るべきなんです。「頑張ります!」ではつまらない。
「変わりましょう!」「変わります!」「変わりました!」これを『信心の三段活用』と言う。』

とも言ってる。じゃ~その「変わる」とは?

『なんの兵法より法華経の兵法を』

この御文と絡めれば答えでしょう。
検索したらちょうどいいものがありましたので出します。
一通り目を通したほうがいいですが、記事では要点のみ出します。

http://www.sokayouth.jp/study/ikeda-daigaku/2015/4.html
4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」 | 女子部「御書池田大学運動」 | 仏法を学ぶ | 創価学会青年部サイト SOKA YOUTH web
より

●●●●●●
御文

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候、恐恐謹言(御書1192ページ15行目~1193ページ2行目)

○○○○○○

通解

どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていくべきである。
「あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる」(法華経薬王品第23)との金言は決して空しいはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心で受け止めていきなさい。決して、臆病では何事も叶わないのです。

○○○○○○
(同ページ「解説」より)

人生においても、広布の活動においても、「法華経の兵法」こそ勝利の要諦です。
池田名誉会長は、1956年(昭和31年)の〝大阪の戦い〟の中で、勝利の要諦は、第1に強盛な祈りであり、第2に最高の作戦と行動である語られました。
その際、第1の要諦だけでも、第2の要諦だけでも、不可能を可能とすることができず、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」との仰せを拝して、第1と第2の要諦を調和させ不可能を可能とする根本が信心であると教えられました。
「法華経の兵法」、つまり信心から生まれた作戦・行動こそ最高の作戦・行動となるのです。
一切を切り開く鍵は信心です。自身の人間革命のために、全てを〝信心の戦い〟と捉え、勇んで広布の活動に前進していきましょう。
●●●●●●

もうひとつ、最後にある「ただ心こそ大切なれ」は直接ご覧になってください。
これだけ話せば理解できる範囲のはずですから。


by taicyan0402e | 2016-09-10 11:16 | 『ブログ村』の様子について
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