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フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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【仏法と病気の関係性】 ~1~

宿坊の掲示板【仏法と病気の関係性】より
(読みやすくするために、掲示板のコメントのいくつかを連結しております。なお、掲示板では六つずつで投稿されているため、それぞれ投稿日時の一つ目を出してます)

投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月26日(火)14時58分58秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52696

現代の医学における治療技術は目覚ましいものがあります。

精密な技術を必要とする臓器移植や脳手術やバイパス手術、
また病気が起こる病原菌の存在をつきとめ、それを駆逐する戦いを通して

人間はあらゆる病気を克服してきました。

しかし、その一方で病原菌を殺す薬剤は副作用というリスクもあり、
かえって病原菌の抵抗力を強め、果てしないイタチごっこを繰り返しているという悲劇もあります。

だからといって医学を否定するものではないし、
人間が開発した偉大な医療技術は大いに利用すべきものだと思います。

また、釈尊の時代は〝耆婆(ギバ)〟という名医が活躍していたし、日蓮大聖人も門下の四条金吾に
医術の心得があったことから、金吾の調合する薬を用いられています。

大聖人は〝病〟について経文や論釈を通し、
病の起こる原因をさらに一歩深く思索して問題解決の方途を教えました。

ここでは病の起こる原因と病気に対する仏法の考え方を見ていきたいと思います。

そもそも人間が病気になるのは体の不調や不摂生、また病原菌などがその原因であることは確かですが、

仏法では生命自体に病を起こす原因を持っていて、それが病気となって現れることがあると説いています。

つまり、病原菌などの外的な原因のほか、その人の生命自体にある内的な原因で病気になることがあり、
その原因を究明し、根本的に解決する方法は仏法以外にないと説いているのです。

たとえば、貧困、家庭不和、精神異常、思想の乱れ、人が人を殺し合う戦争なども仏法では病であると説いています。

これらは医学だけではどうしても治せない大きな病です。

極端な言い方かもしれませんが、
病を治すのはあくまでも人間の持つ自然治癒力(生命力)が主体であって、

医学はその手助けをすることに主眼が置かれ、人間自体の生命力を強くし、
病原菌に負けない、また発病しないようにすることが根本課題なのだと思います。

その意味で正しい仏法を根底にしつつ、医学を用いていけば、医学は偉大な効果を発揮することと思います。

グリグリは決して医学の専門家ではありませんが、医師の本当の願いは治療ではなく予防にあると想像します。

たとえ病気になっても負けない、それよりも病気にかからないようにするのが最も大切なことです。

そして医学の持つ力を十分に駆使して、その理想を実現する根本の基盤が仏法の生命哲学だと考えます。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/52697
御書には

「譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし」(九二一頁)

とあります。

私たち仏法者が心得なければならないのは、医療の専門家ではない限り、
病気を治療するのはあくまでも医師の仕事であって、

私たちができるのは〝信心の指導〟だということです。

たまに勘違いしている人もいますが、信心指導をおろそかにして、
治療法などを詳しく話したとしても根本的な解決にはなりません。

相手の悩みの根源を見抜かないで安易な指導をした場合は、
悩みが解決するどころか、かえって相手を苦しませることにもなります。

そういう意味でも指導する立場の人間は、まず自らがしっかり題目をあげ、
我見ではなく、つねに御書を依文として信心の指導を心がけることが大事だと思います。

さて、大聖人御在世当時、太田入道という門下が痛みを伴う病気にかかり、
それを手紙で報告したのに対する御返事(太田入道殿御返事)があります。

この手紙のなかで大聖人は太田入道が病気になったことについて

「一度は嘆いたが、再びは悦んだ(通解)」(御書一〇〇九頁)と述べています。

つまり、初めは世間一般のうえからは悲しんだが、仏法で見たならば一歩深い意義があり、
これによって仏法をさらに深く学ぶことができるからであるということです。

大聖人は経典や論釈の文を引用し、

特に天台の摩訶止観(次から止観)に光を当てて、病気の本質を解明していきました。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/52698
天台は止観のなかで「病の起こる因縁を明かすのに六種類ある。

一には四大(地・水・火・風)が順調でないゆえに病む。
二には飲食が節制されていないがゆえに病む。
三には坐禅が正しく調(ととの)わないゆえに病む。
四には鬼が便りを得るゆえに病む。
五には魔の為すところゆえに病む。
六には業の起こるゆえに病む(通解)」(同頁)

と述べています。

因縁の〝因〟とは結果を生ずべき直接的な原因です。
〝縁〟とは因を助けて結果に至らしめる外的・間接的な原因ということです。

一切の現象はこの因と縁が和合して生滅を繰り返しているのです。

では、この六つの病の起こる因縁を見ていきましょう。

■一、四大(地・水・火・風)が順調でないゆえに病む。

仏法では宇宙の構成要素を〝地・水・火・風〟の四大と捉えていて、
人間もまたこの四大から構成されていると説いています。

つまり、四大とは色法(物質、形や色のあるもの)を構成する四種の元素・要素のことで、
自然の運行や身体の構成要素が乱れていることから起こる病です。

人体を構成する

〝地〟は、固さやものを保持し作用することをもって自性とし、筋肉・骨・歯・爪・髪などはあたります。

〝水〟は、湿りけやものを摂(おさ)めて集める作用を自性とし、血液やリンパ液がそれにあたると考えられています。

〝火〟は、熱さやものを成熟させることを自性とし、人の体温にあたります。

〝風〟は、動きやものを生長させる作用を自性とし、人の呼吸などです。

その四大が順調でないことから起こる病気とは、
たとえば、発熱・ねんざ・筋肉痛・疲労・熱中症などがそれにあたると思います。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/52699
■二、飲食が節制されていないがゆえに病む。

これは飲み食いに節度がないという意味です。
飲みすぎや食べすぎ、また偏食や無謀なダイエットは身体に良くないのは当然です。

止観には「節度ない飲食は多くの病気を作る原因にもなり、五臓(内臓)の妨げになる(趣意)」とあります。

■三、坐禅が正しく調わないゆえに病む。

これは座って行う坐禅の修行が調和していないという意味ですが、
身体の動作や呼吸、また精神の集中が乱れている状態をも含まれます。

止観には「心が慢心になり怠けていることによって、魔がそれに付け入り、
背・脊髄・関節が痛くなる病気で最も治りにくい(趣意)」と述べました。

広い意味で言えば、日常の姿勢の悪さや運動不足、またそれとは逆に肉体を酷使することによって起こる病のことです。

■四、鬼が便りを得るゆえに病む。

〝便りを得る〟とは〝付け入る〟という意味ですが、
鬼が身体に付け入って病の原因になるという意味です。

仏法でいう〝鬼〟は、人の功徳や生命を奪い、天変地異や社会・思想の混乱などを
起こす原因になることから、病原菌などによって起こる病気(ウイルスや細菌などによる伝染病)と考えられます。

止観には「四大五臓は鬼ではない。もし四大五臓に入れば鬼病と名づける(趣意)」とあります。

考えてみれば、さまざまな病気が起こる原因は、
なにも六つのうちの一つだけをもって病気が決まるのではなく、
六つの因縁が複雑に絡み合って引き起こっているのではないかと考えます。

つまり「これが原因で病気になった」というような単純なものではないということです。

たとえば、医師は患者の症状を見て、その原因がどこから来ているのかを突き止めようとします。

〝お腹が痛い〟と訴えた患者に対して、いつから痛くなったのか、痛くなる前には何を食べたのか、
どう痛むのか、時々痛みが治まるのか、それともずっと痛いのか等々――。

医師は患者の話をよく聞いてその原因を導き出し、治療や予防を試みようと努めます。
それでも分からなければ、今度は科学的に精密検査をして原因を調べます。

それと同じように人間の〝悩み〟というものは千差万別であり、
その悩みの内容や背景をよく聞かずして信心指導などできるわけがありません。

先ほども述べましたが、まずは相手の話をよく聞いて、それでも分からなければ、
経験豊富な先輩に聞くとか、御書に求めるとかの方法を用いて、

その後に何らかの対処やアドバイスをすることが重要だと思います。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/52700
■五、魔の為すところゆえに病む。

これは〝魔〟のしわざによって病が起こるという意味です。

止観には「陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔」の四つの魔を挙げており

「魔の病というのは、鬼の病とは質が違う。鬼の病はただ身を病(なや)まして身を殺す。
しかし、魔の病は心を破り思想を破る。

これは邪念を起こして人の功徳を奪う鬼の病とは違い、
魔はさまざまな衣服、飲食、七つの珍しいものや、雑物を現す。

これらを受け取って歓喜すれば、魔はその心に入り病を起こす。この病は治りにくい(趣意)」とあります。

四魔(陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔)によって起こる病はじつに深刻で
この病の最大の特徴は〝正法の実践〟を妨げることにあります。

「陰魔(おんま)」とは五陰魔ともいい、物質的な側面や
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)から受ける心的作用、またそれによって
心に浮かべた意思や欲求を通して、信仰者の身体に病気を起こして信心を迷わせることをいいます。

たとえば、

信心や他の事は一切そっちのけで〝ポケモンGO〟に夢中になりすぎて、
事故に巻き込まれたり体調を崩したりすることもその一つです。

また「煩悩魔」の根本は、三毒(貪・瞋・愚)の煩悩のことを言います。

たとえば、お金もないのに遊びほうけて借金してでも高級ブランドを買いあさったり、
外面を気にするあまり過度のダイエットをしたり、

ギャンブルやストーカーなど何かに依存している状態も仏法では病気と説いています。

「死魔」は文字通り、自分自身が死ぬことによってその人の信心活動を停止させ、
また身近な人が亡くなることによって信心を迷わせる働きです。

「天子魔」は他化自在天ともいい、魔のなかでは最強の魔です。
これは一切の魔の働きを生む根源の魔で〝第六天の魔王〟のことです。

つまり、多くの民衆から仏のように敬われている者が正法を迷わせ、
正法の信仰者に迫害を加えることによって〝心や体〟に起こる病です。

要するに、魔は衆生の心を悩乱させる働きをすることから、
本能的欲望や感情が乱れることによって起こる病気と考えられます。

以上が魔(四魔)のしわざによって起こる病です。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/52701
■六、業の起こるゆえに病む

これは前世の悪業が原因となって起こる難病のことです。

〝業〟とは身・口・意にわたる行為のことであり、
過去世の業を宿業といい、現世の業を現業といいます。

業には善悪の両面があって、善の業因は楽の果報をもたらす因となりますが、
悪の業因は苦の果報をもたらす因となります。

止観には「業病とは前世の業である。あるいは今世に戒を破れば、
前世の業が発動して業病が出ることがある。

そのことによって所犯があることがわかる。もし

殺害の業ならば肝眼(かんげん)の病である。
飲食の罪の業は心口(しんく)の病である。
婬欲の罪の業は腎耳(じんに)の病である。
妄語の罪の業は脾舌(ひぜつ、脾は循環器系)の病である。
盗(ぬすむ)の罪の業は肺鼻(はいび)の病である。
五戒をそしる業は五蔵五根(ごぞうごこん)の病が起こることもある(趣意)」とあります。

これを整理すると、

①殺害の業――臓器は肝臓、六根は目。
②飲食の業――臓器は心臓、六根は口。
③婬欲(みだらな男女関係)の業――臓器は腎臓、六根は耳。
④妄語(ウソをつく)の業――循環器系(血液やリンパ液など)、六根は舌。
⑤盗む業――臓器は肺、六根は鼻。
⑥五戒をそしる業――五臓(肝・心・脾・肺・腎)、六根は五根(眼・耳・鼻・舌・身)

となります。以上が病の起こる六種類の因縁です。


・・・・つづく

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by taicyan0402e | 2016-07-27 11:56 | 宿坊の掲示板より(教義的)
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