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フーテン学会員の独り言@歓喜の中の大歓喜編

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個人での内得信仰の日々のブログです(歓喜の中の大歓喜編2018.10.21~)
by 太ちゃん
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『仲良しクラブ』もいいではないか

まぁこれは個人個人の状態で変わるものだと感じてます。

僕は、インターネットにデビューした当初はジオシティーでホームページをしばらくやっていました。まだ『ブログ』なども無い時期でホームページ時代の最盛期の時期というか。

やがて、MSNに学会コミュがあるのを知り、数年程度ですがネットでの学会員との交流をしていたわけです。ぶっちゃけますが信心は全く無知に近かったから、とにかく何でも『知りたい』のが本心です。

当時の僕は、今のような「辛口気味」ではなく『ロコツな癒し系』でした。
それでしばらくの時期でみんなと楽しくやっていたわけです。

やがて登場したのが、新聞でも裁判記事が掲載された『れいな』氏です。
この方もだいぶ長くやってる法華講のネットユーザーさんですから知ってる方も多いでしょうけれど。

学会コミュを荒らして、学会不信の人を宗門側へ誘導する目的であったのが、信心に無知で組織不信であった僕にもロコツにわかるものでしたが。
皮肉な事に、『れいな』氏のやりたい放題を見て『宗門は狂ってる』と感じたから、それが『反面教師』になった事で宗門に行かずに済みました。そういう意味で『れいな』さんには今は感謝してるしだいです。

と、いう話はともかく。
『れいな』氏に『ロコツな癒し系』ではなんにもならないのは明らかで、そのタイミングで『教学の師匠』が完全勝利といえる見事な手並みを実演していたわけです。
その様を見て素直に尊敬し教学などを吸収・学んでいったわけです。

尊敬すればこそ、僕自身も文面などを徐々にマネていきました。
それこそ文面を身読するように。
当時は無知でそれをやっていたから、知らず知らずの内に『教条主義』に陥っていく流れになっていったわけです。

それから二年ほど経ち、『妙な違和感』を薄々感じ始めるようになりました。
自分では『十分な納得』になっているのに、全く無知の状態より明らかに状態が悪化してるんです。けれど、一度しっかりと染みついた『クセ』はそう簡単に抜けるものじゃないです。途中で気が付いても、当時は『教条主義』という文字さえ知らなかったから、そのまま『レール』に乗って進むよりなかったわけです。

MSNで『コミュニティー』が廃止になる一年ほど前でしたでしょうか。
純粋な娯楽としても学会コミュとしても中途半端過ぎた状態に僕はコミュニティーに対し意見したのですが。『教学の師匠』はアンチ排除と同様な態度に出たため、約半年ほどネットでさえ学会と距離を置いたんです。サーバーも変え、そこでは宗教話はぜんぜんやらずに。ちなみにアメーバです。

宿命だったのかと今は感じるけれど、そのアメーバでもトラブルというか『事件』が起き、逃げるように次に『グリー』へ行ったわけです。
まぁグリーはゲームをCMにしてるサーバーですから、『教条主義』に陥ってる僕ではトラブルを自分から起こしていたのと、組織についてない事から途中より反学会側へと流れたわけですが。去年の途中で『ある婦人部さん』とたまたまリンクした事がキッカケで『教学の師匠』について指摘をいくつか聞かされたわけです。正直なところ『頭を殴られたような混乱』が起き、何が正しいのかわからなくなったもんです。

現在のところ、ネットをする学会員で『この人は特別素晴らしい』と感じるのは、『ある婦人部さん』と、グリーではない、別のサーバーでコミュニティーをされてる『プロレス好きのある学会員さん』です。お二方とも教学力も人間性も両方とも素晴らしい方です。ちなみに『ブログ村』とは縁が無いネットライフの様子ですが。

話は戻りますが、無知でいる時より現象が悪化してしまうのでは、正論に読めても長い目で見て無益どころかむしろ罰が多くなってしまいます。それを感じたからネットで話すのを控える事にしたのかわかりませんが。

書いてる数が少なくとも、結局は自分自身が前進できない事になるのでは?と。
文面を見るに、10年前のスタイルのまま迷宮に入り込んで暗黒の中を手探りでやってる様子が見えてしまうというか。

『根強い人間不信』は強烈であればトラウマから『理屈』を盾や剣にせざるえないのでしょうけれど、それがかえって悪循環になってるように見えます。僕自身もそうでしたから。

文面を読んだ印象として、なんだか「念仏を聞いてる心境」というか。理屈以前に感じる印象なんです。
今では現実がかなり改善された様子が伺えますが、精神的病の原因は未だ継続してるように僕には見えます。なんだか『無間地獄』に未だいるような。
家系は念仏という事ではないみたいですので、それもちょっと気になってます。

その点『仲良しクラブ』は念仏的雰囲気はまるで無いですから、僕が信仰を理解するために必要だった方便の『教条主義』と似た意味合いですが、『仲良しクラブ』が今の具体的方便として一歩大きく前進できるものと思われます。

『人間不信』では御本尊様の信じ方を誤ってしまいやすい、そう言いたいのです。
子供の頃の体験談のように、今でも素直に信じている状態ではないのではとちょっと感じているんですよ。

御本尊様を観ながら勤行・唱題をしていても、どこかに『念仏状態』があると見ています。それが文面となってる様子に伺えるんです。

化他行はともかく、まずは自行から『感謝』を大全力で自分に起こすのが近道に感じますよ。他に、自分で実際にやったことですが『理屈禁止令』を自分に方便として課した事でやっと現証が伴い出しました。『理屈』はやはり感謝や同情の思いを乗せる方便のひとつに感じられます。


・・・ 結局は記事名と内容が一致しなくなったけどf^^;
いつかまた改めて『仲良しクラブ』について記事にしますか。


by taicyan0402e | 2014-03-03 22:40 | ブログ
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