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さて、『師弟の罰論と功徳論対決』とタイトルをしましたけれど。
学会員さんならこういうのは話せる内容ではないだろうと感じつつ。 『罰論』を展開した牧口先生、『功徳論』を展開した戸田先生。 それぞれ『団体の結果』『個人の結果』『成果』はどうだったでしょうか。 こんなことを話すのも、当時の『時勢』『世相』は逆風。 権力者による理不尽な世相である、そう僕は感じてます。 宿坊の掲示板で話されている内容から、同様に『権力者による理不尽』という点において『かなり近いもの』を感じられているわけです。『権力者による理不尽』~『再建』というテーマについて参考になるんじゃないかと『直感』しているんです。 牧口先生・戸田先生は同じ時期に警察に捕まり。 片方は亡くなり、片方は生きて『再建』です。 聞くところによると、戸田先生は獄中の取調べでも警察に折伏をしていたとか。 後に学会員になった人までいるような話を聞いてます。 もちろん牧口先生の行為は『常識的』に考えて『当たり前』の態度ではあります。 が、『再建』という結果までしっかりと『出せた』のは戸田先生であるわけです。 さて、最近の宿坊の掲示板では『除名されてもかまいません!』というのが出てくるようになってます。そこまでの覚悟があるなら戸田先生の『功徳論』というか、戸田先生のしてきたことを追求することで『望んだ結果』が出せるのではないでしょうか。 『状況』の本質は同様だし、十分に『手本』となるのではないでしょうか。 それと。 たったいま『直感』してるだけで言うのだけど。 池田先生が戸田先生を色々と話してきたのも、ひょっとしたら『いま』のこの状況について『気づいてもらうため』というのもあるんじゃないかと。『不当な権力』との関わりで、しっかりと後継に結果を出してきているのを見越してです。『師弟論』を話すだけならちょっと多すぎてるように感じられます。それだけではない『意味』があったのではないでしょうか。 みなが戸田先生~池田先生のような関係になるような状態なら確かに先生としては『潰れる心配はない』と判断することでしょう。すでに『成就結果』として出ているわけですから。 いま学会の行く末を危惧してるのなら、すでに『結果』の出ている戸田先生の軌跡を追及したほうがいいと思います。そして、池田先生のような後継を学会員それぞれが育てるよう、先生はそうみているんじゃないかと感じられるのですよ。また『存続』するにはそういう『流れ』でないと成就しにくいことも。いくらなんでも先生なら今の状況やこれから起きていくことぐらい見えていたことでしょう。それでも『隠居』ができたのは『存続する結果が間違いないから』と感じていたからではないかと思われるのです。 かれこれもうじき一年になろうとしています。 僕自身はすでにあの掲示板は閲覧のみになっているけれど。 やっていることは『常識的』に見て『正しい』『当たり前の態度』と感じるものの、『結果』という点ではどうでしょうか。またそれぞれ個人での功徳ではどうなのでしょうか。 とりあえず僕個人では『信心が狂っただけ』が実際の結果になってます。 まぁ実は掲示板に参加していた時期から薄々は感じていたのだけど。 が、『中心者だけのせいではない』とも今は感じています。 『中心者』からは『縁の働き』というだけです。 『原因』が『縁』によって『結果』となる、あまりにも基本的教学部分というか。 牧口先生はこんな感じで福運を食いつぶし切ったことで獄中死という結果になってしまったんじゃないか、そう感じられるのです。組織上でいえば『除名』が相当するんじゃないかと。 宿坊の掲示板で展開されている『流れ』はどうにも牧口先生の後を追っているように感じられてならないのです。『常識的』には行為は正しいです。が、『結果』という視点まで含めると仏法上は正しくない、という感じにいまは見えてます。が、『不必要か?』というとそういうものでもないと感じます。実際に体験して学ぶ、それがむしろ『基本』ではないでしょうか。 と、自分で感じたなら僕もここで変えますか。 ここしばらくは僕自身が『罰論的』であったからね。 『縁』に触れて信心が狂うのは相手だけが原因ではない、ということ。 『縁』に触れても『揺るがない信心』を目指すことが大切なのでしょうね。 それこそが『絶対的幸福境涯』に至る方便の王道ではないかと思うわけです。 またそこまでの『生命力』のために『お題目』が必要になるわけです。 そういう意味では『KYな状態』も方便のひとつとしてアリなのかもしれない。 『須梨槃特』のように。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%88%A9%E6%A7%83%E7%89%B9 周利槃特 - Wikipedia http://www.sokanet.jp/movies/bukkyomonogatari/jakhcj000000bvyx.html 忘れん坊のスリハンドク|仏教ものがたり|SOKAnetムービー|創価学会公式サイト すでに開いている掲示板は当面は『戸田先生の軌跡』でも追及してみようかな。 モノを覚えるのが苦手で歴史みたいなのは特に不得手なんだけどね。 『苦手』だと負担が多くなるけれど、やっただけの『メリット』がありそうですね。 『モノを覚えるのが苦手』ゆえ、当面は戸田先生に関するものをランダムに情報を集めていくしかないけれど。集まった情報からさらに『道』がおそらくハッキリと浮かび上がってくるんじゃないかと直感してます。
by taicyan0402e
| 2015-05-26 23:40
| 組織関連など
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